はその時クルリと向き返って、スタスタともと来た方へ歩き出しました。お君はそのあとから傘を差しかけて追って行こうとするのをお銀様が、
「そっちへ行ってはなりません、そっちのお邸へ行ってはなりません」
命令するような強い声で呼び止めましたから、お君は立ち竦《すく》みました。
三郎様は大きな下駄を引きずって雨の中を笠も被《かぶ》らずに、悠々とあちらへ行ってしまいます。
「お前は、まだ知るまいけれど、此家《ここ》ではお互いの屋敷へは、滅多に往来《ゆきき》をしないようになっています。あの子はそれを申し聞かされているはずなのに、こんなところへ来たからそれで叱りました」
「はい」
「さあ、お前はお上り。あの犬はどうしました、犬が母屋《おもや》の方へ行って悪戯《いたずら》をするようなことはあるまいね」
「あの犬は悪いことは致しませぬ」
お君は再びもとの座に帰りましたけれど、このことからなんとなくそのあたりが白《しら》け渡ったようであります。
お銀様はせっかくお君を相手に、名所の話などをして興を催されようとしていた時に、三郎様が来てその御機嫌を、すっかり損《そこ》ねてしまったようであります。いか
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