ってお銀様は、
「君ちゃん、わたしは、どうも幸内がこのお城の中にいるようにばかり思われてならない」
と言いました。
「左様でございますか」
と言って、お君も同じくお城の方を見ていました。
「幸内は、お父様の大切なあの刀を、あたしから借りて、この御城内のどなたかへ見せに来たものに違いない、この御城内のお方でなければ、有野村の近所で、あの刀を見たいというような人があるはずはないのだから」
「それもそうでございます、御城内のどなた様へおいでなさいましたか、それがわかりさえしますれば……」
とお君の返事から、お銀様は暫く考えて、
「あの、お君や」
と少し改まったように言いました。
「はい」
「お前は、この御城内に知人《しりびと》がおありかえ」
「いいえ」
 お君は、どうして私風情《わたしふぜい》が、御城内のお方になんぞと、首を横に振って眼を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》りました。
「おありだろう」
と言ってお銀様は、意味ありげにお君の面を見ました。
「いいえ、わたくしなんぞが」
とお君は言葉に力を入れて言いわけをしましたけれど、お銀様はそれを肯《き》かないで、
「お前はこの御城内にお親近《ちかづき》の方があるはずなのよ、お前は知らないと言うけれども、わたしはちゃんと知っている」
「お嬢様、どうしてそんなことがございましょう、わたしは他国者《よそもの》でございますから」
「けれどもお前、よく考えてごらん」
「どんなに考えましても」
「そう、お前、知ってるじゃないか」
「いいえ」
「まだわからないの」
「どうしてもわかりません」
「そんなら、わたしが言って聞かせる、それいつぞや、お馬を調べにわたしの屋敷へお見えになった、あの……」
「あ、御支配の駒井能登守様でございましたか」
「そうそう、あのお若い綺麗《きれい》な御支配の殿様のことよ」
「左様でございましたか、それならば、わたしはよく存じておりまする」
「それごらん、知っているくせに」
「それでもお嬢様、あの殿様を、わたし風情《ふぜい》が知っていると申し上げては恐れ多うございますね」
「いいえ、あの殿様はお前を知っている、お前はあの殿様に御贔屓《ごひいき》になっているくせに」
「御贔屓なんぞとお嬢様」
「いいえ、そうではありません、あの殿様からお前に、あんな結構な下され物があったのは、あれは殿様がお前を好いているからなのよ、わたしはそう思っている」
「お嬢様、飛んでもないことでございます、あれはムクの働きなのでございますよ、ムクが殿様のお馬の危ないところを助けたから、ムクへのお礼心で、それで、わたしの方へ、あんな結構な下され物があったのでございますよ」

「そればかりではありません、殿様がお帰りの時に、わたしはじっと見ていました、殿様は幾度も幾度もお前の姿を振返っておいでになりました、お前はそれを知らなかったであろうけれど、わたしはちゃんと見ていました、お前はあの殿様に思われているのに違いない、いいえ、わたしの見た眼に違いはありません」
 お君は、お銀様からこの言葉を聞いた刹那《せつな》に、ポーッと面《かお》が赤くなりました。何ということはないが、胸に春風が吹いて、心の波が漂《ただよ》うような嬉しさでいっぱいになりました。けれど別に、お銀様の言葉には針がある、お君はそれを冷たく思いました。
「お嬢様、そんなことをおっしゃって、わたしをお嬲《なぶ》りなさいます」
「いいえ」
 お銀様は、冷たい権《けん》のある言葉で首を横に振ったまま、お君の方を見返りもしませんでした。
「お嬢様、もうお帰りになっては如何《いかが》でございます」
「いいえ」
 お銀様は、お城の方ばかりを見ていました。お君もせんかたなしにお城の方を見ていると、
「お君や、お前、あの殿様のところへお訪ねしてみる気はないかえ」
「どう致しまして、わたしなどが……」
「そうではありませぬ、お前があの駒井様をお訪ねすれば、駒井様は、喜んで会って下さるに違いない」
「どうしてそのようなことが……」
「ほかの人では、滅多にお会いになるまいけれど、お前が訪ねて行けば、あの殿様はきっと喜んでお会いなさる」
「お嬢様、そのようなお話は、もう御免を蒙《こうむ》りとうございます、お行列でもお通りになるといけませぬから、あちらの方へ参りましょう」
「まあ、お待ち、お君、お前はそんなに帰ることばかり急《せ》かないで、わたしの言うことをよく聞いておいで」
「はい」
「わたしは、お前に頼みたいことがある」
 お銀様の言葉は、いよいよ権高くなってしまいました。
「お嬢様、今更、そんなに改まって」
「お前に頼みたいということは、いま言った通りお前はこれから、あの御支配の駒井能登守様のお邸まで行って来ておくれ、わたしはここで待っているから」

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