たけれど、外は闇でよくわかりません。燈籠の火影《ほかげ》の届くところには何者も見えませんでしたけれど、感心なことに宇治山田の米友は、居眠りをしても、その足音を聞き洩らすような油断がありません。
「まさか、でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]じゃあるめえな」
と言って座右を顧みた時に、そこに六尺の手槍がありました。
「兄い、なかなか寒いじゃねえか」
 気軽に茶所へ入って来たのは、でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]でもなければ、八幡様の廻し者でもないようです。竹の笠を被って紺看板《こんかんばん》を着て、中身一尺七八寸ぐらいの脇差を一本差して、貧之徳利を一つ提げたお仲間体《ちゅうげんてい》の男でありました。
「うむ、寒い」
 米友は案外な面《かお》をして仲間体の男を見ますと、その仲間体の男は、心安立《こころやすだ》てにズカズカと火の傍へ寄って来て、
「兄い、済まねえがお茶を一杯振舞ってくんねえ」
と言いました。
「いくらでも飲みねえ」
 仲間体の男は貧之徳利を土間へ置いて、大土瓶から熱いお茶を注いで飲みました。お茶を飲むところを笠の下から見ると、この仲間体の男は、折助《おりすけ》にしては惜しいほどの人柄に見えました。
「どこへ行ったんだい、もう晩《おそ》いよ」
と米友は咎立《とがめだ》てをするような口ぶりであります。
「ナニ、部屋からの帰りなんだ」
と仲間体の男はなにげなき体《てい》で返事をして、お茶を飲んでしまうと懐中から叺《かます》を取り出して、炭火で火をつけて鉈豆《なたまめ》でスパスパとやり出しました。
「兄い、不寝番《ねずのばん》かい、御苦労だな」
と言いました。
「ははは、不寝番だよ、今夜はでえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]が来るというから、それで寝られねえんだよ」
「ははあ、なるほど」
と言って仲間体の男は頷《うなず》きました。
「でえだらぼっち[#「でえだらぼっち」に傍点]がこの八幡様へ喧嘩をしかけに来るんだそうだ、それで八幡様のお庭を明るくしておけと神主様の言いつけだ、だからこうして不寝番をして、時々燈籠へ油を差して歩くんだ」
 米友はワザワザ申しわけのように言っていると、
「なるほど、それは御苦労さまだ、油を差すのはいいが、油を売っちゃいけねえよ」
「ばかにしてやがら、油なんぞを売るものか」
「それでも今、コクリコクリとやって
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