垂れるように黒く、それを見事な高島田に結い上げてありました。姿、形、作り、気品、その顔だけを除いて、もし後向《うしろむ》きにしてこれをながめた時には、誰でも恍《うっと》りとしてながめるほどの美人です。
 馬に乗っていたお君は、それを突然《だしぬけ》に前から見てしまいましたから、ゾッとして慄《ふる》え上りました。
「幸内、お前、いま山から帰ったの」
 その呪われた妙齢の人は、椿《つばき》の花の一枝を持っていました。そうして若い馬商人《うまあきんど》を幸内、幸内と呼びかけては、こっちへ静かに近寄って来るのであります。
「これはお嬢様、お早うございまする」
 幸内と呼ばれた若い馬商人は小腰を屈《かが》めました。
「幸内、それはどこのお方」
と言って、呪われた女の人は、そのひきつれた眼を銀の針のように光らせて馬上のお君を見ました。
 その時に、お君は身の毛が立って馬の上にも居堪《いたたま》らないような気がしました。
 無論、この時までもムク犬は黙々として馬と人とに従って跟《つ》いて来ていたものですが、ここに至ってその鷹揚《おうよう》な頭を振上げて、呪われた妙齢の女の人の面《かお》をじっと見つめました。
「これは、丸山の下で、難儀をしておいでなさるところを助けて上げたのでございます。まだ身体が弱っておいでなさるようでございますから、女中部屋まで連れて行って休ませて上げたいと思います」
「そう、早くそうしておやり、お薬が要《い》るならわたしのところまで取りにおいで」
「はい、有難うございます」
 お君は馬上で聞いて、このお嬢様と呼ばれる人が、面付《かおつき》の怖ろしいのに似もやらず、情け深い人のように思われたのでホッと一安心です。
「それから幸内や、その馬を厩《うまや》へ廻してしまったら、父様のところへ行く前に、わたしのところへ、ちょっとおいで」
「はい」
「嘘《うそ》を言ってはなりませんよ」
 お嬢様はこう言って、椿の花の枝を持ったままであちらへ行ってしまいました。嘘を言ってはなりませんよ、の一言《ひとこと》に、針が含まれているようにお君の耳には聞きなされます。しかしながら、お君の胸は、「おかわいそうに……」という同情が無暗に湧いて来て、その呪われたお嬢様のために、ほとんど泣きたくなってしまいました。

         二

 お君は若い馬商人の幸内に引合わされて、女中の取
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