《うまだいじん》へ行くのだが……」
 ほどなくお君はこの馬商人《うまあきんど》に助けられ馬に乗せられて、有野村の馬大尽というのまで連れて来られました。
 馬大尽の家の前まで来て見るとお君は、その家屋敷の宏大なのに驚かないわけにはゆきません。
 甲州一番の百姓は米村《よねむら》八右衛門というので、それが四千五百石持ちということであります。和泉作《いずみさく》というのは東郡内で千石の田畑を持っているということであります。この馬大尽はもっと昔からの大尽でありました。
 甲州の上古は馬の名産地であります。聖徳太子の愛馬が出たというところから黒駒《くろこま》の名がある。その他、鳳凰山《ほうおうざん》、駒ヶ岳あたりも馬の産地から起った名であります。御勅使川《みてしがわ》の北の方には駒場村というのがあります。この有野村は、もと「馬相野《うまあいの》」と言ったものだそうです。お君が来て見た時、屋敷の近いところにある広い原ッぱや、眼に触れたところの厩《うまや》を見てもちょっとには数えきれないほどの馬がいました。なるほどこれは馬大尽に違いないと思いました。
 それのみか、門を入ってからまるで森の中へ入って行くように、何千年何百年というような立木であります。
「一品式部卿《いっぽんしきぶきょう》葛原親王様《かつらはらしんのうさま》の時分からの馬大尽だ」
と馬商人がお君に言って聞かせただけのものはあります。
 屋敷の中を流れる小流に架《か》けた橋を渡ってしまった時分に、木の蔭から現われた女の人が、
「幸内《こうない》、幸内」
と呼びました。若い馬商人は、
「はい」
と言って女の人を見てあわてたようでありました。
 馬上のお君もまた、その声を聞いてその人を一眼見るとゾッとしてしまいました。妙齢の面《かお》という面は残らず焼け爛《ただ》れているのに、白い眼がピンと上へひきつって、口は裂いたように強く結ばせているから、世の常の醜女に見るような間の抜けた醜さではなくて、断えず一種の怒気を含んでいる物凄《ものすご》い形相《ぎょうそう》です。いっそう惨酷《さんこく》なのは、この妙齢の女の呪《のろ》われたのが、ただその顔面だけにとどまるということです。着《つ》けている衣裳は大名の姫君にも似るべきほどの結構なものでありました。罪の深い悪病のいたずらか、その髪の毛だけを天性のままに残しておいて漆《うるし》の
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