なのだろうと思われます。お絹は一言《ひとこと》も物を言う隙《ひま》さえなく、欄《てすり》の上から川の岸の笹藪の中へ、何者とも知れないものに抱き込まれてしまいました。何物とも知れないのではない、その者はお絹の首を抱いてその面をしっかりと胸に当て、口の利けないようにしておいてから、「おれは、がんりき[#「がんりき」に傍点]だ、百蔵だ」と名乗ったはずです。
 本陣の方では、こんなことを気のついたものが一人もありませんでした。
 能登守は事務に精励であったし、米友は与力同心を相手に気焔を吐いているし、そのほかの連中とてもそれぞれの仕事をしていたり、世間話をしていたりしていたものだから、一向この方面のことは閑却されていました。ただ一人お松だけが、お絹の湯上りがあんまり悠長《ゆうちょう》なのを気にして、二度までも湯殿へ来て見ましたけれど、そこにも姿を見ることができませんでしたから、ようやく気が揉《も》め出して米友を呼んでみようと思いましたけれども、その米友は、相変らず与力同心を相手に槍の気焔を吐いて夢中になっているようですから、気の毒のような心持がして、それで、また三度まで廊下の方へ行ってみました。
 お松が廊下を通った時に、廊下の縁の闇の中から、
「お松」
「はい」
 自分を呼んだのは、たしかに七兵衛の声です。
「お師匠さんはいるか」
「今、お風呂に……」
「風呂ではあるまい、風呂にはいないはずだ」
「ええ、今ちょっとどこへか……」
「それ見ろ」
 七兵衛から、それ見ろと言われてお松はギョッとしました。
「友さんを呼びましょう、御支配のお役人様もおいでなさいますから、お頼み申しましょうか」
 こういってあわてると、七兵衛はそれを押えて、
「米友にも役人にも知らせない方がいい、ナニ、百の野郎は痛み所で、身動きも碌《ろく》にできねえのだから、大したことになりはしめえ、俺がこれから一人で行って捉まえて来る、お前はこのまま座敷へ帰って静かにしているがいい、米友にもやっぱり黙っていた方がいいよ、あいつが下手《へた》に騒ぎ出すとまた事壊《ことこわ》しだ」
 七兵衛は、これだけのことを言い残して、闇の中へ消えて行きました。
 鎌のような月が相変らず笹子峠の七曲《ななまがり》のあたりにかかっている時に、黒野田の笹川の谷間から道のないところを無理に分け登って行くものがあります。肩に引っかけられた女は少しの抵抗する模様もなく、背中へグッタリと垂れた面へおりおり木の繁みを洩れた月の光が触《さわ》ると、蝋《ろう》のように蒼白く、死んだものとしか見えません。
 それを背中へ載せて路のないところを登って行くがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵。これもまた面の色が真蒼《まっさお》で、ほとんど生ける色はありません。木の根に助けられたり、岩の角に支えられたりして、上るには上るが、その息の切り方が今にも絶え入りそうで、やっと一丁も登ったかと思う時分に、力にした草の根が抜けると一堪《ひとたま》りもなく転々《ころころ》と下へ落ちました。
「ああ、苦しい」
 二三間も下へ落ちて岩の出たところで支えられた時に、がんりき[#「がんりき」に傍点]は、もう苦しくて苦しくてたまらなく見えましたけれど、その肩へ引っかけていたお絹の手首は決して放すことではありません。
 はッ、はッと吐く息は唐箕《とうみ》の風のようであります。なんにしても、がんりき[#「がんりき」に傍点]は腕が一本しかないのです。その一本しかない腕で、お絹を肩に担いで、足と身体で調子を取って上ろうとする心だけが逸《はや》って、岩に足を踏掛けると足がツルリと辷《すべ》りました。
「あっ、苦しい」
 またも二間ばかり下へ辷り落ちたがんりき[#「がんりき」に傍点]は、お絹と共に折重なって、暫らくは起き上れません。
「あっ、苦しくてたまらねえ」
 やっと起き直って見ると、向《むこ》う脛《ずね》からダラダラと血が流れていました。
「畜生、こんなに向う脛を摺剥《すりむ》いてしまった」
 そのままにしてお絹を引っかけて、また上りはじめてまた辷りました。
「こいつはいけねえ、いくら力を入れても辷って上れねえ、はッ、はッ」
 やっと一間も登ると、ズルズルと七尺も辷っては落ちる。
「こんなことをしていたんじゃあ始まらねえ、帯はねえか、帯は」
 ここに至ってがんりき[#「がんりき」に傍点]は、とても手首を掴まえて肩にかけて上ることの覚束《おぼつか》ないのを悟ったから、帯を求めて背中へ括《くく》りつけて登りにかかろうと気がついて、はじめて手首を放して大事そうにお絹の身体を岩蔭に置きました。
「死んでいるんじゃねえ、殺したと思うと違うんだよ、もう少し辛抱すりゃ活《いか》して上げますぜ御新造、はッ、はッ」
 例の鎌のような月が、微かながらその光を差して、真白なお絹の面と肌とが活きて動くように見え出した時、がんりき[#「がんりき」に傍点]はどこかで大木の唸《うな》るような音を聞きました。
 猫が鼠を捕った時は、暫らくそれをおもちゃにしているように、自分でそこへ抛り出したお絹の面《かお》を見ると、がんりき[#「がんりき」に傍点]は物狂わしい心持で、
「こうしちゃいられねえんだ」
 再びお絹を背負い上げて登りはじめようとしたが、この時はがんりき[#「がんりき」に傍点]の身体もほとんど疲労困憊《ひろうこんぱい》の極に達して、自分一人でさえ自分の身が持ち切れなくなってしまいました。この女を荷《にな》ってこの崖路《がけみち》を登ることはおろか、立って見つめているうちに、眼がクラクラとして、足がフラフラとして、どうにも持ち切れなくなったから、がんりき[#「がんりき」に傍点]はお絹の傍へ打倒れるようにして、烈しい吐息《といき》を、はっはっとつきながら峠の上を仰いで、
「矢立《やたて》の杉が唸《うな》っていやがる、矢立の杉が唸ると山に碌《ろく》なことはねえんだ。せめて、あの杉のところまで行きたかったんだが、この分じゃあもう一足も歩けねえ、といってこれから下へも降りられねえ、自分ながら自分の身体が始末にいけねえんだからじれってえな。うまくせしめるにはせしめたけれど、これだけじゃあ何にもならねえや。俺の腕はこんなもんだということを、七の兄貴にも見せてやりてえし、粂の親分にも見せてやりてえんだ。それからまた、勤番の御支配とやらが泊っている本陣から盗み出したといえば、ずいぶん幅が利かねえものでもねえ、これからこの女を連れて一足先に駒飼《こまかい》まで行って、そこで、どんなものだとみんなの面を見てやりゃあ、後はどうなったって虫がいらあ。峠を越してしまわねえうちは、こっちのもんでこっちのものでねえようなものだから、なんとかして漕《こ》ぎつけてえんだが、身体が利かねえから仕方がねえ。ああ、ほんとに弱った、死んでしめえそうだわい」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]はついにそこへ、へたばって動けなくなりました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]が動けなくなった時分に、お絹が少しく動き出してきました。お絹が少し動き出した時分に、下の方で喧《やか》ましい人の声、上の方でもまた人の声。
 昏倒《こんとう》しかけたがんりき[#「がんりき」に傍点]は、お絹の動いたことにはまだ気がつかなかったけれど、上下で起るその人の声は早くも耳に入ると、必死の力でむっくり起き直って見ると、提灯《ちょうちん》の光が、いくつもいくつも黒野田の方から、谷川と崖路を伝うてこちらを差して来るのがわかります。
 上の方、矢立の杉のあたりからもまた火影《ほかげ》がチラチラ、してみると自分はもう取捲かれているのだ。がんりき[#「がんりき」に傍点]は遽《にわか》に立ち上ってよろめきながら、
「トテモ逃げられなけりゃ、ここで心中だ。生きて峠が越えられねえのだから、死んで三途《さんず》の川を渡るのも、乙《おつ》な因縁《いんねん》だろうじゃねえか。道行の相手に、まあこのくらいの女なら俺の身上《しんじょう》では大した不足もあるめえ。猿橋の裏を中ぶらりんで見せられたり、笹子峠から一足飛びに地獄の道行なんぞは、あんまり洒落《しゃれ》すぎて感心もしねえのだが、どうもこうなっちゃあ仕方がねえ」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]がお絹の傍へ寄った時、
「な、何をするの」
 お絹は生きていました。自分の咽喉へかけようとしたがんりき[#「がんりき」に傍点]の手を、夢中で振り払うと、
「おや」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]も驚いたが、その途端にフラフラとまたしても岩を辷《すべ》ると、あわててその片手にお絹の着物の裾を掴む。裾を掴んだけれども、辷る勢いが強くてお絹もろともに釣瓶落《つるべおと》しに谷底へ落っこちます。

         九

 その翌朝、駒井能登守の一行は例によってこの本陣を出立しました。お絹、お松、米友の一行は、それに従って行く様子がありません。
 昨夜、七兵衛はお松にことわって誰にも言うなと言ったにかかわらず、お松はそれを黙っているわけにはゆかないから、与力同心を相手に気焔を揚げていた米友を呼んで話しました。それから騒ぎが大きくなって、居合わすもの総出の勢で、山狩りをして峠の方へ狩り立てて行くうちに、尋ねるお絹が半死半生の体《てい》で谷間から這《は》い出して来ました。
 ともかくも、お絹が逃げて来たことによって、一同も安心して宿へ引取ったが、お絹は一切のことを語りません。それ故に誰もその事情を知るものがなく、或いは山の天狗に浚《さら》われたのではないかと思っています。
 無事で逃げて帰ることのできたお絹は、実は能登守の一行について行きたかったのだけれども、身体が弱っているから、心ならずもここに留まることになりました。
 かくて駒井能登守の一行が黒野田を出ると、幾カ所の橋を渡り、追分を通って、いよいよ笹子峠へかかりました。

「これが笹子峠の矢立の杉」
 中の茶屋を通って、矢立の杉の下で一行が立ち止まってその杉を見上げました。
「ははあ、矢立の杉というのはこれか」
と言って杉のまわりをまわり歩いている連中が、面白半分に手を合せてその杉の大きさを抱えてみました。
「ちょうど七抱《ななかか》え半ある」
「昔の歌に、武夫《もののふ》の手向《たむけ》の征箭《そや》も跡ふりて神寂《かみさ》び立てる杉の一もと、とあるのはこの杉だ」
「ナニ、なんと言われる、その歌をもう一度」
と言って、写生帖を持っていたのが念を押しました。
「武夫の手向の征箭も跡ふりて神寂び立てる杉の一もと」
「なるほど」
 写生帖へその歌を書き込んで、
「読人《よみびと》は」
「読人知らず」
「年代はいつごろ」
「これも知らぬ」
「ははあ、よく歌だけを記憶しておられた、感心なこと」
と言って写生帖が感心すると、古歌の通《つう》が笑って、
「ここの石に刻《きざ》んであるからそれで知ったのだ」
「ははあ、石碑の受売りか。その石碑もまた相当に古色があって面白い、年代はいつごろだろうか知ら」
「よく年代を知りたがる人じゃ」
「ええ、明暦《めいれき》とある、肝腎《かんじん》の年号の数字のところが欠けていて見えない、明暦も元年から始まって三年まである、厳有院様《げんゆういんさま》の時代であって、左様、今から考えると、ざっと二百年の星霜を経ている」
「してみると、その歌もその時代に咏《よ》まれたものであろう」
「いや、もっと調子が古いわい、江戸時代の産物ではない。いったいこの笹子山は一名|坂東山《ばんどうやま》といって、古来、関東で名のある山、日本武尊《やまとたけるのみこと》以来の歴史がある」
「なるほど、してみるとその歌は、日本武尊がお咏みなされたお歌ではないか」
「違う、日本武尊時代にはこんな和歌は流行《はや》らなかった」
 杉の根もとで勝手な考証を試みています。
「古来、この道を軍勢が通る時は必ずこの杉に矢を射立てて、山の神に手向《たむ》けをして通るならわしになっていた」
「我々もその古例を追うて、弓矢の手向けをして行こうではないか」
「我々のは、甲州を治
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