の空気に打たせていました。
前にいう通り、すぐ眼の上なる笹子峠には鎌のような月がかかっている。四方の山は桶《おけ》を立てたようで、桂川へ落ちる笹川の渓流が淙々《そうそう》として縁の下を流れています。
自分にいい寄って来る男を物の数とも思わないような気位が、年と共に薄らいでゆくことが、自分ながらよくよくわかります。それ故にがんりき[#「がんりき」に傍点]とお角とが仲よくして歩くところを見ると嫉《や》けて仕方がありませんでした。
有体《ありてい》に言えば今のお絹は、男が欲しくて欲しくてたまらないのであります。男でさえあれば、どんな男でも相手にするというほどに荒《すさ》んでくることが、このごろでもたえず起って来るようでありました。
「あの、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵という男、御苦労さまにわたしたちを附け覘《ねら》ってこの甲州へ追蒐《おっか》けて来たが、あの猿橋で、土地の親分とやらに捉まって酷い目にあったそうな、ほんとにお気の毒な話」
とお絹は、がんりき[#「がんりき」に傍点]のことと、それが猿橋へ吊されたという話を思い出して、ほほ笑み、
「七兵衛が助けると言って出かけたが、
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