に対して反逆者でもあるかのように見られたり、薩長の犬であるかのように疑ぐられたりしますから、出兵、出兵、出兵に限るというようなことに傾いて行きました。なんでもドシドシ兵を繰り出して長州から薩摩の果て、琉球までも踏みつぶしてやらねばならぬと意気込みを示した者も大分あったようです。
 この出兵論が正しいか正しくないかは知れないが、いよいよ事実になってみると愚劣を極めたものでした。最初の長州征伐は、どうにかこうにかお茶を濁して幕府の面目をつないだけれども、二度目となってはカラキリお話になりませんでした。幕府の威信を張るどころではなく、かえってグニャグニャと腰が砕けて、長州からあべこべに寄り出されて引込みがつかなくなってしまいました。長州征伐をやっても、やらなくても、もうたいてい幕府の寿命はきまっていたのだから、それがいいでもなし悪いでもないけれど、とにかく長州征伐をやったために、徳川幕府の寿命がまだ十年持つところを、九年早めてしまったような形勢は争うべからざるものであります。
 勝海舟《かつかいしゅう》のような目先の見えたものが――そういう場合に出て来たからおたがいに幸いでありました。けれど
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