がらこの手紙を、明朝の飛脚で江戸へ届けてもらうように、この宿の主人へ手渡し下されたい」
と言って、その手紙を拾ってお松に渡しました。
「畏《かしこ》まりました」
「あの先刻の婦人は、そなたの伯母でありましたか」
「はい」
「よろしく申して下されよ」
 お松はこうしてお茶を捧げて来て、手紙を持って能登守の許をさがる時に、まことに好い殿様だと思いました。怖《こわ》いお役人様のお頭《かしら》であろうと思って来たのに、打って変って優《やさ》しく思いやりがありそうで、そうかと言ってニヤけた御人体《ごにんてい》は少しもなく、気品の勝《すぐ》れていることを何となく奥床《おくゆか》しく感じてしまいました。
 お絹はお松が能登守から頼まれたという手紙を自分が受取って、お松に向っては、
「今、殿様がお風呂においであそばしたようだから、お前は行ってお世話を申し上げて下さい、失礼のないように」
と言いつけました。
 お松はその言いつけをも、温和《おとな》しく聞いて風呂場の方へ行きました。そのあとでお絹は能登守の手紙を手に取ってつくづくと眺めていました。表には「江戸麹町二番地、駒井能登守内へ」と立派な手蹟で認《
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