辞して帰ってからお絹の胸には、駒井能登守を対照としての一つの心持が浮びました。
甲府へ行けばこの人は、自分の元の主人の神尾主膳の上へ立つ人だと思いました。同じ旗本でありながら、一方は支配する人、一方は支配される人とお絹は思いました。
そうして、自分よりも年が若いし、神尾よりもまた若い駒井能登守の幅が利くのかと思うと憎らしくなりました。なんとかしてやりたいという気になりました。
お絹の思うには、けっきょく男は脆《もろ》いものであるということでした。まだ三十前後の能登守、たとえ相当の学問や才気があったところで知れたものである。固いということは、女に接する機会がない間に限ったことで、相当の手練《しゅれん》を以てすれば、男は必ず色に落ちて来るものである。固いようなものほど落ちはじめたら速度が強いということが、お絹の日頃から持っている信念でありました。だから駒井能登守が、いま甲州道中を、飛ぶ鳥を落す勢いで練って行く時に、これをどうにかしてやりたいということは結局、お絹が持っている唯一の信念から出立するということに帰着しますので、大へんやかましいことです。
駒井能登守に会ってお礼を言ってか
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