に太閤なども家康公の弓矢には閉口しておられた、その家康公を苦しめたほどの信玄だから、太閤のような派手師にとっては、謙信よりも信玄の方が苦手かも知れぬ」
こんな話をして小山田備中の城、岩殿山の前をめぐりながら進んで行く。
「この城によって反《そむ》いたものがあるから、勝頼が天目山にちぢまって最期《さいご》を遂げることになってしまったということじゃ。小山田備中は果して忠臣であり、勇士であったろうか知らん。とにもかくにも要害は要害じゃ」
大月を過ぎて初狩、立川原《たてかわら》、白野《しらの》から阿弥陀《あみだ》街道を練って行く。
「山国とは言いながら、どっちを見ても山ばかり、よくもこう山があったものじゃ。岩殿山が要害なばかりではない、甲州全体が一つの要害じゃ、小仏なり、笹子なりに兵を置けば、いかなる大軍も攻め入る手段《てだて》はなかろう、一夫これを守れば万卒も越え難しというのはまさにこれじゃ。東の方はこれで、南はまた富士川口があるばかり、西と北とは山また山、信玄も豪《えら》かったには相違ないが、この要害で守るに易く攻めるに難い地の理がよろしい。およそ四海に事を為す能わざる時に、この山国に
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