、たとえ粂であろうとも、鬼であろうとも、後の祟りを怖がってそれで包み隠すというようなわけじゃございません、どうか打捨ってお置きなすって下さいまし」
「貴様が白状しなければ別に調べる道もある、ともかく我々と一緒に本陣まで同道せい」
「どうか、このままお免《ゆる》しなすって下さいまし、歩けません」
 こんな酷《ひど》い目に遭わされながら何とも訴えないのは、そこに何か仔細がなければならぬと思って与力同心の面々は、この男を引き立てようとした時に気がついたのは、この男に片腕のないことでした。
 これより先、猿橋の西の詰《つめ》の茶屋の二階で郡内織の褞袍《どてら》を着て、長脇差を傍に引きつけて酒を飲んでいた一人の男がありました。年は五十に近いのだが、でっぷりと太って、額際《ひたいぎわ》に向う傷があって人相が険《けわ》しい。これは前にしばしば名前の出た鳥沢の粂という男であります。
 粂は二階から障子をあけ払って猿橋を一目にながめながら、
「どうだい、野郎をあんなにしてやった、いい心持だろう、あんなのを眺めて酒を飲むとよっぽどうめえ」
 粂は猿橋の真中から、亀の子のようにがんりき[#「がんりき」に傍点
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