まして、附合い様一つでございます」
「この鳥沢に粂《くめ》という者があるか。鳥沢の粂といって、この界隈《かいわい》に知られた男があるそうな」
「へえ、鳥沢の粂、そんな者があるにはあるんでございますが、お話を申し上げるような人体《にんてい》ではございません」
と言って、主人は鳥沢の粂のことをあんまり話したがらない。風景があったり名物が出たりすることは多少にも自慢にもなるけれど、あんな人間の存在することはあまり名誉とも思わないらしくて、粂のことは問われても語らずに、
「なんしてもこの通りの山の中でございますから、景色と申しても名物と申しても知れたものでございますが、そのうちでも甲斐絹《かいき》と猿橋《さるはし》、これがまあ、かなり日本中へ知れ渡ったものでござりまする」
「そうだ、猿橋と甲斐絹の名は知らぬ者はあるまい、その猿橋ももう近くなったはず」
「これから、ほんの僅かでございます、そんなに大きな橋ではございませんが、組立てが変っておりますから、日本の三奇橋の一つだなんぞと言われておりまする。猿橋から大月、大月には岩殿山《いわとのさん》の城あとがございまして、富士へおいでになるにはそこから
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