った同心は空《むな》しく帰って来ました。
「怪しい奴、足の迅《はや》いこと無類でござりまする」
同心はまず以て、その逃げ去った奴の足の迅いのに舌を捲いて復命しました。
「年はまだ若いようであったな」
「年はまだ若いようでございました、三十の上を幾つか越したくらい、遊び人風の男で、後ろ姿をチラリと見かけましたが、その迅いこと迅いこと」
「なんにしても怪しい奴じゃ、すべてあの通り足の迅い奴には悪いことをする者が多い、よく演劇や講談に現われる雲霧仁左衛門《くもきりにざえもん》という悪漢も足の迅い男であったそうじゃ」
「ああ、その雲霧仁左衛門という悪漢、それはこの上野原から出た奴にございます、この上野原のしかるべき家に生れた悪漢でございました」
「足が迅いと高飛びが自由にできる、それで今日ここで悪事をしても、明日は他国へ行って知らぬ面《かお》している、悪事千里を走るとはこのことじゃ」
「足が迅いから自然、手が長くなるのでございましょう。冗談はさて置き、あの怪しい奴、取逃がしたは残念、直ちに手配を致して取押えさせましょう」
「それには及ばぬ」
「せっかく御支配のお目に留まったものを取逃がして、
前へ
次へ
全123ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング