あるまい」
「左様、八ヶ岳にも雪が深いし、地蔵岳《じぞうだけ》も大分|被《かぶ》りはじめたようだから、それが風のかげんで甲府の空を冷たくするのであろう、なかなか寒い」
「まあ、ここへ来て温まり給え、寒さ凌《しの》ぎに一献《いっこん》参《まい》らせる」
「催促をしたようで恐れ入るな」
「拙者ひとりで寒さ凌ぎをやろうと思うていたところ、折よく分部殿がお見え、それにまた貴殿のおいでで甚だ嬉しい、ゆっくりと寛《くつろ》いで行ってくれ給え」
三人は飲んでようやく興が加わる時分に、山口四郎右衛門が何をか不平面《ふへいがお》に、
「御両所、近いうちに新しい勤番支配が来ることをお聞きなされたか、その風聞《うわさ》がたぶん御両所の耳にも入ったことと存ずる」
「ナニ、支配が来ると? しからば今まで欠けていた勤番支配の穴が埋まるのか、それは初耳じゃ、我々はトンと左様な噂《うわさ》は聞かぬ。して、いかなる人がどこから来るのじゃ」
神尾と分部とは、自分たちの上に立つべき勤番支配の一人が新しく任命されて来るという報告を、山口の口から耳新しく聞いて意外に感じました。単に意外に感ずるばかりではなく、不安と妬心《と
前へ
次へ
全123ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング