人はただ西洋の知識を多少心得ているというだけのことで、実務にかけてはいいかげんの無能者で、時々調子をはずれたところで思い切ったことをするから、危なくて仕方がない、腫物《はれもの》に触《さわ》るようなこのごろの外国向きのことに、あんな青二才を使えるものではない、甲州の山の中へ入って、摺《す》れからしの勤番の中で揉《も》まれて来るのが身のためだ」
これは駒井を多少けむたがっている老成者の間から出る評判でありました。とにかく未知数の人間だけれども、どのみち、まだまだ叩き上げなければものにならないという嫉悪《しつお》と軽侮《けいぶ》とそれから、幾分か敬畏《けいい》の念も入っているのであります。
そうかと思うとまたこんな一説もあります。幕府は駒井の人物を見抜いてワザと甲府へ納めるのだ、甲府は天険であって、まんいち徳川幕府がグラつき出す時は、そこが唯一の根城となる、まんいちの場合をおもんばかって、駒井を遣《つか》わして地利や兵備を調べさせておくのだと。これもまた駒井贔屓の者の臆想《おくそう》でありました。
またその他の一説は、駒井能登守が甲州入りをするようになったのは、高島四郎太夫に関係する
前へ
次へ
全123ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング