たのだから、相当に理窟は言えるようになったろうけれど、それよりもあいつの得手《えて》は上役に取入ることだ、老中《ろうじゅう》あたりに縁があって、胡麻《ごま》をすったその恩賞で引上げられたのだ、あいつは頼もしそうな面をして老中あたりの頑固連《がんこれん》を口説《くど》き落すには妙を得ている」
「駒井も駒井だが老中も老中だ、いったい我々甲府勤番を何と心得ている。なるほどいずれも相当にしたい三昧《ざんまい》をし尽した報いで、こんな狭い天地に逼塞《ひっそく》はしているけれど、以前を言えば駒井の上に出でるものはいくらもある。言わば甲府勤番は苦労人の集まり、粋人の巣と言うべきだ、容易な人間でその支配が勤まると思われるのが大不足だ、相当の人を遣《つか》わすのが、我々へ対しての礼じゃ。しかるに駒井如き若年者《じゃくねんもの》をよこして我々の頭に置こうなぞとは、見縊《みくび》られたもまた甚だしい哉《かな》。二百余名の甲府勤番がそれで納まるか知らん、駒井を頭にいただいて唯々諾々《いいだくだく》とその後塵《こうじん》を拝して納まっているか知らん。もしそれで納まっているようなら世は末だ、徳川の天下もいよいよ望みなしじゃ」
「その通り、我々が不平なるが如く、二百余名の勤番、誰とて駒井を快く思うものはあるまい。さりとて公儀からのお役目、それを反《そむ》くというわけにもいくまい。いよいよ駒井が来たら我々共の覚悟はどうじゃ、いかなる思案を以て駒井を迎えるか、あらかじめ腹をきめておかねばなるまい」
「拙者は病気所労と披露《ひろう》して当分は引籠《ひきこも》る」
「病気所労もよかろうけれど、いつまでもそうは言っておられぬ。もっと男らしい手段はないか、甲府勤番の反《そり》の強さを見せつけて、駒井の胆《たん》を奪うてやるような仕事はないか、駒井が着く早々縮み上って尾を捲いて向うから逃げ出すような謀《はかりごと》があらば、これ以て甚だ痛快なる儀じゃ」
「なるほど」
「機先を制して駒井能登を圧倒するのじゃ、そうして、甲府勤番には骨があって、彼等如き若年者で支配などとは以てのほかというところを、老中にまでも思い知らせてやるのじゃ、それをせねば後来のためにもならぬ」
「なるほど」
 ここに三人の不平が火を発するほどに強くカチ合って、そうして彼等の上に来《きた》るべき、年の若い新しい支配というのを呪《のろ》い尽すの相談が持ち上ってしまいました。
 甲府の勤番支配は三千石高の芙蓉間詰《ふようのまづめ》であります。その下には与力《よりき》が十名と同心が五十人ずつあって、五百石以下の勤番が二百人は甲府の地に居住しています。支配は二人であることもあり一人は欠員のままであることもあります。御役知《おやくち》は千石で、本邸は江戸にあって住居は甲府へ置く。
 駒井能登守が勤番支配に任命されたのはどういう意味だかよく判りません。或る者はこれを栄転だとして嫉《ねた》みます、或る者は左遷だとして悲しみます。とにもかくにも能登守がまだ三十に足らぬ若年者であってこの地位に置かれたことは、ドチラにしてもその人物の非凡である証拠にはなります。
 その頃の幕議に長州出兵論というのがある。薩州と長州との横着《おうちゃく》があまりといえば目に余る、どうしてもまず長州から征伐してかからねば、幕府の威信が地に落つるというのが、長州出兵論の根拠であります。この長州出兵論を唱える者の中には、徳川譜代恩顧の者で徳川にとっては無二の精忠者があります。これらの人は本心から薩長あたりの暴慢《ぼうまん》をにくんで、徳川のために死のうという連中でありました。またそれらの熱心な長州出兵論を鼻の先でセセラ笑っている者もありました。これは徳川とはあまり縁の薄い方の平民側の中の蔭口に多いのです。その言い草を聞けば、
「ナーンだ、長州出兵なんて、よけいなことだ。お膝元を見るがいい、貧窮組がああして騒ぎ廻っているじゃないか。貧窮組がああして騒ぎ廻っている間に、頼まれもしない長州くんだりまで兵隊を出してどうする気だ。そんなことをするよりは印旛沼《いんばぬま》の掘割りでもした方がよっぽど割がいいぜ」
 こんなことを言って、ばかばかしがっている者もあります。
 また一方には譜代以外の者で、盛んに長州出兵に声援を与える者もありました。これはずいぶん変り者で、もとより徳川のために死のうというほどの縁故もなければ熱心もないのだが、何か景気をつけて自分たちの仕事をこしらえたいという浪人者、或いは自称志士の連中が多かったということであります。口先ばかりでもなんでも景気のいいことは雷同し易いから、精忠無二の長州出兵論よりも、景気のよい人たちの唱える出兵論が、だいぶ徳川に受けがよくなりました。まかり間違ってもそれに異議を唱えるような口ぶりをしようものなら、徳川
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