無理無体に引張り出されたから、女の力で争うことはできません。
「ほんとに口惜しい、わからないお役人だ、わからずや」
 お角は引摺《ひきず》り出されてしまいましたけれど、その引摺り出されたところは意外にも甲州口でありました。
「愚者《おろかもの》め」
 ポンと関所の外へ突き放されて腰が砕け、暫らく起き上れないでいたが、起き上った時分に気がついてお角は喜びました。
「ああ、わかった、あの若い殿様が粋《すい》を利かして下すったのだ、もと来た方へと言って、ワザとわたしを甲州口の方へ突き放すように、御家来の方に指図をなされたものを知らずにお怨《うら》み申したわたしは、やっぱり女だから馬鹿だね。殿様、有難う存じます、あとでお礼を申し上げまする」
 お角は起き上ってお関所の方へ向いてお礼を言いました。
 それから大急ぎで甲州の方へ歩いて行きました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]に出し抜かれてしまったお角は、こうして前後の考えもなくそのあとを追いかけて来ました。お角にとっては、がんりき[#「がんりき」に傍点]がそれほどに可愛ゆいわけではなく、お絹という女が憎らしくてたまらないのです。あんな古証文を突きつけて人をばかにした上に、またがんりき[#「がんりき」に傍点]と一緒になってこれ見よがしの振舞でもされた日には、意地も我慢もあったものではないのですから、お角はあとを追っかけて来ました。
 腕こそ一本落したけれど、足の方に変りのないがんりき[#「がんりき」に傍点]の歩きぶりは、到底お角の足を以て如何《いかん》ともすることはできません。ましてがんりき[#「がんりき」に傍点]の方は変則な道を通り、裏道を行くのは慣れているから、お角が追いかけてみたところで到底ものにはならないけれども、どのみち行く道筋は甲州街道で、落着くところは甲府、先へ行ったのは女連、途中どこかで追いつかなければ、甲府で落ち合う。その時は、がんりき[#「がんりき」に傍点]とあの後家様をつかまえて、思う存分荒れてやろうと、例の如く懐中には剃刀《かみそり》なんぞを忍ばせて、駕籠を飛ばせて来たわけです。
 幸いにうまくお関所が抜けられたけれど、これから先がほんとうの難所、女一人で通れるはずの道とも思われません。
 お角が一人で小仏《こぼとけ》の方へ行ってしまってから、駒井能登守の一行がこの関所を立って同じ方向に出かけ
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