て、さあこうして拙者《わし》が立っているから打ち込んでごらんと、竹刀を片手にそこへ突立っておいでなさるところを、大勢して覘《ねら》って打ち込んでみましたけれども、どうしても身体へ触《さわ》ることができませんでした。眼が見えないであのくらいですから、眼が見えたらどのくらい強いんだかわかりません」
「その盲目《めくら》の武士《さむらい》という者こそ、永年拙者が尋ねている人」
 兵馬は一礼して、この家の門を出て行きました。

 望月の家を走《は》せ出した兵馬が、この村をあとにしてもと来た道。そこへちょうど通りかかったのは、空馬《からうま》を引いた、背に男の子を負《お》うた女。
「その馬はこれからどちらへ行きます」
「これから三里村を通って七面山《しちめんざん》の方へ参るのでござんす」
「はて、それでは少し方角が違うけれど、拙者はちと急ぎの用があって甲府まで帰らねばならぬ者、お見受け申すに、馬は空荷《からに》の様子、せめてあの丸山峠を越すまでその馬をお貸し下さらぬか」
 兵馬はその女の人に頼んでみました。
「お急ぎの御用とあらば……わたくしどもには少し廻りでござんすけれど、お貸し申してもよろしうございます、お乗りなさいませ」
 兵馬は、この婦人が快く承知をしてくれたのを嬉しく思いました。
 しかし、馬に乗りながら見るとこの婦人が、眼に涙を持っているのが不思議であります。

         二

 こうして宇津木兵馬は、またも甲府まで戻って来てみましたところが、机竜之助の乗物が神尾主膳の邸内へ入り込んだことは確かに突き止めたけれども、それから先どこへ行ったか、それともこの邸内に留まっているものだか、そこの見当が一向つきませんから、ぜひなく非常手段に出でて、夜分ひそかに神尾の邸内へ忍び込んでみようと思いました。
 三日目の晩は雨が降って風も少し吹いていたから、兵馬はそれを幸いに、城内の神尾が屋敷あたりまで密《ひそ》かに入り込んで夜の更《ふ》くるのを待ち、追手濠《おうてぼり》の櫓下《やぐらした》へ来て濠端の木蔭に身をひそませている時分に、思いがけなく、濠の中からムックと怪しい者が現われて来ました。片手には金箱《かねばこ》のようなものを抱え、覆面して脇差を一本差し、怪しいと兵馬が思う間に、その男は金箱を濠の端に置いて櫓の方へ、また取って返しました。
 まもなく櫓《やぐら》の下から、また一人の男、今度は金箱のようなものを背中に確《しか》と結びつけて、ムックリと出て来ました。それと同時に前に取って返した男、それもまたムックリと出て来て、濠の中へ引っぱった細引の縄を手繰《たぐ》り寄せ、その一端を前に置き放した金箱に結びつけて背中へ引背負《ひきしょ》って、二人は煙の如く消えてしまいました。
 そこには二重の怪しみがある。これはてっきり曲者《くせもの》と思うた怪しみと、もう一つは、その曲者二人とも見覚えのあるような形。先に出て来たのが背と言い恰好《かっこう》と言い七兵衛そっくり、あとから来たのは片腕が無いようであった。してみれば徳間《とくま》の山の中から拾って来たあのがんりき[#「がんりき」に傍点]という男でもあろうか。
 兵馬は実に不審に堪えませんでした。だいそれた甲府城内の御金蔵破り、いま眼《ま》のあたり見れば、それはドチラも自分の知った人、のみならず自分が世話になった人、つい幾日前まで同じ宿にいた人。あまりの不審に兵馬はあとを追いかけてみました。しかし、もうどこへ行ったか姿が見えません。
 これを二人の方にしてからが解《げ》せぬことであります。百蔵も江戸へ出て小商《こあきな》いでもして堅気になると言い、七兵衛もそれを賛成したのに、まだこの辺に滞《とどこお》っていて、ついにこんなだいそれたことをやり出すようになったのか、さりとは測りがたないなりゆきと言わねばならぬ。
 兵馬はそのことから、七兵衛なる者に対する疑点が深くなりました。もしも彼は表面あんなことにしていて、内実はこんな悪事を働いている人間ではなかったか知ら。そうだと知れば、少なくともその世話になったことのある自分にとっては一大事だ。人は見かけによらぬもの、恃《たの》みがたないものであるわいと、兵馬も茫然《ぼうぜん》として我を忘れていました。
 その時に、追手《おうて》の橋の方で提灯の光あまた。
「櫓下の御金蔵破り! 出合え、出合え」
 兵馬は気がつけば、危ないこと、自分も疑われるには充分な立場にいる。さてどちらへ避けたものと思って見廻したが、どちらにも提灯。はて迷惑なことが出来たわいと思いました。
 兵馬はぜひなく覆面を外《はず》して追手通りの方へ引返しました。無論のこと、そこには警固の侍、足軽がたくさんいる、その網にひっかかるは覚悟の上で、ひっかかった時は尋常に言いわけをしようと心をきめてやって来たが、果して、
「待て!」
 バラバラと兵馬を取捲いて来た警固の者。
「神妙に致せ」
 そこで兵馬は調べられてしまいました。
「今時分、何しにここへ来られた」
「ちと用事あって」
「何用があって」
「神尾主膳殿まで罷《まか》り越《こ》したく」
「神尾主膳殿方へ? して貴殿は何者」
「拙者は江戸麹町番町、旗本片柳伴次郎家中、宇津木兵馬と申す者」
「神尾殿とは御昵懇《ごじっこん》の間柄か」
「まだ御面会は致しませぬ」
「面識もないものが、この真夜中に人を訪ねるとは心得難し」
「大切の用向あるにより」
「大切の用向とは?」
「それは、御城内勤番衆二三の方にも知合いがあるにより、事情を述べれば委細明白のこと」
「その言いわけは暗い。他国の者、夜中《やちゅう》このあたりを徘徊《はいかい》致すは不審の至り、尋常に縄にかからっしゃい」
「縄に?」
「温和《おとな》しくお縄を頂戴致せ」
「縄にかかるような覚えはない」
「手向いさっしゃるか」
「なかなか。縄をいただくべき覚えなきにより、手向い致す心もござらぬ」
「言い逃れを致さんとするか、不敵者」
「これは理不尽《りふじん》な」
 兵馬の言いわけは聞き入れられませんでした。それで兵馬に縄をかけようと群《むら》がって来た時に、その中から分別ありげな武士《さむらい》が一人出て来ました。
「お見受け申すところ、お年若のようでもあるし、両刀の身分、且《かつ》は番町片柳殿の家中と申されるからには拙者にも多少の思い当りがござる、人違いして滅多なことがあってはよろしくあるまい。しかしながら、今宵の大変に出会いなされたが貴殿にとっての不仕合せ故、ともかくも尋常に奉行まで御同行下さるよう。委細の申し開きは奉行に逢ってなさるがよろしかろうと存ずる」
 こう穏《おだや》かに言われて、兵馬は大勢に囲《かこ》まれて勘定奉行《かんじょうぶぎょう》の役宅の方へ引かれて行ってしまいました。
 兵馬は勘定奉行の役宅へ預けられて、ほとんど牢屋同様のところでその夜を明かしました。夜は明けたけれども、兵馬の身の明《あか》りは立たなくなりました。
 盗賊の行方《ゆくえ》は一向わからない上に、彼らが忍び出でた痕跡《こんせき》のある濠端は、ちょうど兵馬が通りかかったと同じ方向でした。その上に、兵馬は神尾主膳を尋ねると言ったけれども、神尾は兵馬なるものをいっこう知らないと言うし、それはとにかく、兵馬が何故に夜分あんなところへ来合せたかということが、誰にとっても解けぬ不審でありました。すべてが兵馬に不利になってゆくから、気の毒にも兵馬は、獄に下されるよりほかに仕方のない羽目《はめ》に陥りました。

         三

 さるほどに道庵先生がまた飛び出して来ました。どこへ飛び出したかと言えば、貧窮組《ひんきゅうぐみ》の中へ飛び出して来ました。
 この貧窮組というものが、前に申すように、山崎町の太郎稲荷《たろういなり》から始まるには始まったが、このくらい不得要領な組合もなかったものです。幾百人の男女が市中を押廻って、町の角や辻々へ大釜を据《す》えて、町内の物持から米やお菜《かず》を貰って来て粥《かゆ》を炊《た》いて食い、食ってしまうと鬨《とき》の声を挙げて、また次の町内へ繰込んで貰って炊いて食い歩くのです。その仲間に入らないと受けが悪いから、相当の家の者共がみんないっぱしの貧窮人らしい面《つら》をして粥を食い歩く。食って歩くだけで別に乱暴するではない。大塩平八郎が出て来るでもなければ、トロツキーが指図をするわけでもない。ただわーっと騒いで歩くだけのことだから、道庵先生が出現するには恰好《かっこう》の舞台です。
 長者町の先生の家へ、町内の遊び人がやって来て、
「今日はわっしどもの町内でも、いよいよ貧窮組をこしらえますから、こちら様でもお仲間入りをして下さるか、そうでなければ、いくらか奉納を致してもらいてえんでございます。それができなければ、こっちにも覚悟があるんでございます」
と出ました。
 それを聞いたから道庵先生が、飛び上って喜びました。
「しめた」
 草履を逆さにして、遊び人をそっちのけにして駈け出してしまったわけです。
「ばかにしてやがら、貧窮組ならこっちが先達《せんだつ》だ、おれに断《ことわ》りなしに拵《こしら》えたのが不足なぐらいなもんだ、押しも押されもしねえ十八文だ、十八文の道庵は俺だ」
 ちょうど米友が柳原河岸へ行ってしまった時分に、道庵先生は昌平橋で大勢の貧窮組が粥を食っているところへ駈けつけました。
「さあ道庵が来たぞ、十八文の道庵は俺だ、見渡したところ、貧窮組の先達で俺の右へ出る奴はあるめえ」
 自分から名乗りを上げてしまいました。元より道庵先生はこの近所で人気があるのです。人気がある上に、ちょうどこういう舞台へ乗り出すにはうってつけの役者でしたから、一同がその名乗りを聞くと、やんやと言って喝采《かっさい》しました。道庵先生の得意|想《おも》うべしで、嬉し紛れに米俵を引いて来た大八車の上へ突立って演説をはじめてしまいました。
「さあ、皆の衆、俺は御存じの通り長者町の十八文だ、今度、皆の衆が貧窮[#「貧窮」は底本では「貧弱」]組をこしらえたというのは近頃よい心がけで俺も感心した、俺に沙汰無しで拵えたことがちっとばかり不足といえば不足だが、それは感心と差引いて埋合せておく。いったい物持というやつが癪にさわる、歩《ふ》が成金《なりきん》になったような面《つら》をしやがって、我々共が食うに困る時に、高い金を出して羅紗《らしゃ》なんぞを買い込みやがる。そこで皆の衆が物持から米や沢庵を持って来てウント喰い倒してやるというのは、天道様《てんとうさま》の思召《おぼしめ》しだ、実にいい心がけである、賛成!」
 煽《あお》ってしまったからたまらない。
「やんや」
「やんや」
 四方から喝采が起る。道庵先生、いかめしい咳払《せきばら》いをして、
「これから俺が先達になってやるから安心しろ。しかし俺は大塩平八郎ではねえから、危なくなれば逃げるよ。俺に逃げられたくねえと思ったら乱暴をするな、人の物を取るな、女をいじめるな、役人が来たら俺も逃げるからみんなも逃げろ」
「やんや」
「やんや」
「相対《あいたい》で物を貰って喰うには差支えねえ、人の物を盗《と》ったり乱暴をしたりすると、捉《つか》まって首を斬られる、首を斬られるのは俺もいやだがお前たちもいやだろう、だから乱暴をしてはいけねえ」
 この不得要領な貧窮組は、その夜は昌平橋際へ夜営をしてしまいました。このくらいの騒ぎだから役人の方へも聞えないはずはありません。けれども幕末の悲しさ、これを押えんために捕方《とりかた》が向って来る模様も見えませんでした。そうなってみると貧窮組の組織は、決してこの一カ所にとどまらないことです。
 江戸市中、至るところにこの貧窮組が出来てしまいました。道庵先生の如きは興味を以てこの貧窮組に賛成をしたけれども、貧窮組に馳せ参ずるもののすべてが、道庵先生の如き無邪気な煽動者《せんどうしゃ》ばかりではありません。と言って幸いなことに、大塩もトロツキーも出て来なかったから、それを天下国家の問題にまで持ち上げる豪傑は入って来な
前へ 次へ
全14ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング