絹はその抽斗の中を選《え》り分《わ》けて一枚の借用証文を引き出しました。この証文は、お角が甲府へ旅興行に行く前に、仕込金として、忠作から借りて行った金の証文であります。
「お松や」
お絹は証文の皺《しわ》を伸ばしながらお松を呼びました。
「はい」
「わたしが今お客様と話をしていますから、もしお茶をと言った時分に、お前はお茶を入れて持って来て下さい。お客様は、お前の面《かお》を見ると何か言い出すかも知れないが、お前は心配しないで、お茶を出したらば直ぐに奥へ入っておしまい」
こう言ってお絹はとりすまして客間へ立って行きました。
「お初《はつ》にお目にかかりまして」
お絹とお角と両女《ふたり》の挨拶《あいさつ》があってから、お角が改めて、
「さきほどお目にかけましたお手紙、どうやらお門違いとも思われませんのに、御様子がおわかりにならないそうでございましたから、押してお目通りをお願い申しました」
「道庵さんは始終《しょっちゅう》懇意《こんい》に致しておりますけれど、あの娘さんがどうしたことやら、文面が何のことやら、のみこめませんものですから」
「あの道庵先生から、当家様へ二三日お預かり
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