夫婦喧嘩でもなんでも、道庵ひとたび出づれば大抵は茶にして納まりをつける。それが時としては道庵の一徳であり、時としては道庵先生の人格を軽くする所以《ゆえん》となることもあります。しかしながらこの場の働きは、たしかに先生の器量を一段と上げてしまいました。なんとなればこれはお鍋や八公の夫婦喧嘩とは違って、相手が始末の悪い茶袋ときていたところへ、事は上様の不敬問題だから、屯所へ引張られた上は、まず生命は覚束《おぼつか》ないものと思わなければならない。それを道庵が出て易々《やすやす》と解決をつけてしまったから、今まで黒山のように人だかりしていた連中が、ここで一度に哄《どっ》と喝采《かっさい》しました。そうして口々に先生の器量を讃《ほ》める言葉を記してみるとこういうことになります。
「どうでげす、あの道庵さんは大したものじゃあございませんか、お前さんごらんなすったか、ああしていったん胸倉を取られたところを道庵さんが逆に取り返した、あすこが見物《みもの》なんでげす、あれがその、柔術《やわら》の方で逆指といって、左の指の甲の方からこうして掴《つか》んで、掌を上の方へこう向けて強くあげるんでげすな、そう
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