で……」
「ナニ、証拠がないから無理だと? 証拠呼ばわりをして言い抜けをしようなどとは、いよいよ以て図々しい。証拠が有ろうとも無かろうとも、我々歩兵隊の耳に入った以上は退引《のっぴき》のならぬことじゃ。しかし、理非曲直が立たねば政道も立たぬ道理じゃ、歩兵隊は無理を言わぬという証拠にその証拠を見せてやる。これ見ろ、これはいま貴様の家の店前《みせさき》で拾ったものじゃ、さあこれを見たら文句はあるまい」
突き出したのは、この店へ入りがけに茶袋が拾った一枚の紙。それはいま読んだ「恐れ乍《なが》ら売弘《うりひろ》めの為の口上、家伝いゑもち、別製|煉《ねり》やうくん」と書いた、紛《まぎ》れもなく今の将軍家を誹謗《ひぼう》した刷物《すりもの》です。悪い奴に、悪い物を拾われました。
「この証拠を見た上は文句はあるまい。文句のない上に、亭主、貴様の罪が重くなったぞ。さあ、拙者と同道して、両人共に我々の兵営まで罷《まか》り出ろ。あとのやつらは神妙に待っておれ、お差図があるまでここを動いてはならん」
この危急存亡の秋《とき》に、天なる哉、命《めい》なる哉、ゆらりゆらりとこの店へ繰込《くりこ》んだものが
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