、
「へえ」
と言って振返った。とある家の用水桶の蔭に真黒な二人、両方とも長い刀を差しています。そこで駕籠屋を不意に呼びかけたから駕籠屋も驚いたようであったし、通りかかった忠作も少し驚きました。
「駕籠をこれへ持って参れ」
「どうもお気の毒さま、これから蔵前《くらまえ》のお得意まで行くんでございますから」
「黙れ! 黙って駕籠を持って来い」
嚇《おどか》しておいて、長いのをスラリと引抜くのではなく、懐中から投げ出したのは若干の酒料《さかて》らしい。
用水桶の蔭に隠れていた浪人|体《てい》の怪しの者は、背に引きかけていた一人を労《いたわ》って駕籠の中へ入れると、
「旦那、どこまで行くんでございます」
「黙って拙者の行くところまで行けばよい」
駕籠|側《わき》に一人が附添うて無暗《むやみ》に走り出しました。
それを見ていた忠作は、何と思ったか蕎麦屋の荷物を抛り出して、一目散《いちもくさん》に駕籠の跡を追いかけました。
神田へ出て、日本橋を通って、丸の内へ入って、芝へ出て、愛宕下《あたごした》の通りをまだ真直ぐにどこまでともなく飛ばせる。ついに駕籠は芝の山内《さんない》へ入る。丸山
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