ございますが……」
 ナンダ、いつも弁当を運んでくれる仕出し屋か、弁当ならば、もう食べてしまったから入用《いりよう》はないと思って、
「弁当箱を取りに来たのかい」
「そうではございません、若い衆さんに一口上げてくれと町内から頼まれまして」
「ナニ、俺《おい》らに一口上げてくれって? そんな人はいねえはずだが」
「どうかここをおあけなすって下さいまし」
「どうもおかしいな」
 米友はおかしいと思いながら戸をあけると、いつも来る仕出し屋の女が、丸に山を書いた番傘《ばんがさ》を被《かぶ》って岡持《おかもち》を提げて立っています。
「俺らに御馳走してくれるというのは誰だろう」
「町内の衆でございます」
「町内の誰だろう」
「ただ町内から届けたと、そういえばわかると申しました」
「俺らの方ではよくわからねえ」
 米友は一合の酒と鰻《うなぎ》の丼《どんぶり》を受取りました。仕出し屋の女は帰ってしまいます。米友は、またもとのところへ帰って、鰻の丼と一合の酒を前に置いて、しきりにそれをながめていました。一合の酒も飲んでみたくないことはない、鰻の丼も食慾を刺戟しないこともない、けれども町内の誰がよこした
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