いと言うし、それはとにかく、兵馬が何故に夜分あんなところへ来合せたかということが、誰にとっても解けぬ不審でありました。すべてが兵馬に不利になってゆくから、気の毒にも兵馬は、獄に下されるよりほかに仕方のない羽目《はめ》に陥りました。
三
さるほどに道庵先生がまた飛び出して来ました。どこへ飛び出したかと言えば、貧窮組《ひんきゅうぐみ》の中へ飛び出して来ました。
この貧窮組というものが、前に申すように、山崎町の太郎稲荷《たろういなり》から始まるには始まったが、このくらい不得要領な組合もなかったものです。幾百人の男女が市中を押廻って、町の角や辻々へ大釜を据《す》えて、町内の物持から米やお菜《かず》を貰って来て粥《かゆ》を炊《た》いて食い、食ってしまうと鬨《とき》の声を挙げて、また次の町内へ繰込んで貰って炊いて食い歩くのです。その仲間に入らないと受けが悪いから、相当の家の者共がみんないっぱしの貧窮人らしい面《つら》をして粥を食い歩く。食って歩くだけで別に乱暴するではない。大塩平八郎が出て来るでもなければ、トロツキーが指図をするわけでもない。ただわーっと騒いで歩くだけのこ
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