きな者はねえけれども、時世時節《ときよじせつ》だから仕方がねえや、ばかにするない」
「貧乏人がどうしたと言うんだい、そりゃ銭金《ぜにかね》ずくでは敵《かな》わねえけれど頭数《あたまかず》で来い、憚りながらこの通り、メダカのお日待《ひまち》のように貧乏人がウヨウヨいるんだ、これがみんなピーピーしているからそれで貧乏人なんだ、金があるといってあんまり大きな面《つら》をするない、これだけの頭数はみんな貧乏人なんだ、逆さに振《ふる》ったって血も出ねえんだ、その貧乏人が組み合ったから貧窮組というんだ、貧乏でキュウキュウ言ってるからそれで貧窮組よ、ばかにするない」
 大勢の貧窮組が口々に悪態《あくたい》をつき出したけれど、忠作は意地っ張りで、
「何とおっしゃっても私共は、皆さんが貸せとおっしゃるから貸して上げるだけの商売でございます、なにも皆さんに筋の立たない金を差上げる由がございませんから」
 こう言い切って、玄関の戸をバタリと締めてしまって、中へ引込んだから納まらない。
「それ、打壊してしまえ」
 ついに貧窮組がこの家の打壊しをはじめました。
 貧窮組の一手は、ついに忠作の家をこわし始めました。火をつけると近所が危ないから火はつけないで、門、塀、家財道具を滅茶滅茶に叩き壊します。忠作は素早く奥の間に駈け込んで、証文や在金《ありがね》の類を詰め込んで用心していた葛籠《つづら》の始末にかかると、いつのまに入って来たか覆面《ふくめん》の大の男が二人、突立っていました。
 この大の男は、貧窮組とは非常に趣を異にして、その骨格の逞《たくま》しいところに、小倉《こくら》の袴に朱鞘《しゅざや》を横たえた風采が、不得要領の貧窮組に見らるべき人体《にんてい》ではありません。忠作が始末をしている葛籠のところへ来て、黙って忠作の細腕をムズと掴んで捻《ね》じ倒すと同時に、一人の男はその葛籠を軽々と背負って立ち上ります。
「どろぼう!」
 忠作が武者振《むしゃぶ》りつくのを一堪《ひとたま》りもなく蹴倒《けたお》す、蹴られて忠作は悶絶《もんぜつ》する、大の男二人は悠々《ゆうゆう》としてその葛籠を背負って裏手から姿を消す。
 貧窮組は表から盛んに叩きこわしていたが、いいかげん叩きこわしてしまうと、鬨《とき》の声を揚げて引上げました。
 もとより宿意あっての貧窮組ではないから二度まで盛り返して来ず、昌平橋へ行ってお粥《かゆ》を食っています。貧窮組はこのくらい、無邪気といえば無邪気なものだけれど、合点のゆかないのは朱鞘《しゅざや》を横たえた小倉袴の覆面の大の男。表で無邪気な貧窮組を騒がしておいて、金目の物を引浚《ひっさら》って裏から消えてしまうというのは、武士にあるまじき行いであります。
 この勢いで貧窮組は江戸の市中へ蔓延《まんえん》して、ついには貧窮組へ入らなければ人間でないようになってしまいました。男ばかりではない、女も入らなければならないようになりました。職人は職人同士、芸人は芸人同士で貧窮組を作らなければならない義務が出来て、まんいち貧窮組に加入していないことが知れようものなら、人間の仲間を外されて非人の仲間へ組入れられなければならなくなりました。そうして貧窮組はついに江戸市中を風靡《ふうび》してしまったけれど、その不得要領なことはいつまでたっても不得要領で、お粥を食って歩くこと、せいぜい忠作の家を叩き壊すくらいのところであったが、解《げ》せぬのはその貧窮組が騒いで行ったあとで、必ず貧窮組らしくない仕業《しわざ》が二つ三つは必ず残されていることです。この手段は前の忠作の家を荒した時と同じような手段で、表で貧窮組が騒いでいる時、裏で、前に見る通り、朱鞘を差した堂々たる武士が仕事をするのであります。
 その強奪《ごうだつ》の仕方があまりに大胆で大袈裟《おおげさ》で、しかも遮《さえぎ》る人があっても人命を殺《あや》めるようなことはなく、衣類や小道具などには眼もくれず、纏《まと》まった金だけを引浚《ひっさら》って悠々として出て行く。
 不得要領でどこまでも拡がってゆく貧窮組。それと脈絡があってこの強盗武士に要領を得さするものとすれば、貧窮組も決して不得要領ではないけれど、貧窮組にそんなアクドい根のないことは、その成立の動機が煙みたようなのでわかるし、そのなりゆきがお粥以上に出でないのでわかります。しからばその貧窮組を表にして、それとは全く没交渉《ぼっこうしょう》でありながら、巧《たく》みにそれをダシに使って大金を奪い歩く武士体《さむらいてい》の強盗は果して何者。そうしてその盗った金を何事に使用するのだろう。市中の大商人で、この朱鞘の武士の強奪に会ったものは無数であったけれども、後の祟《たた》りを怖れてそれを表立って申し出でない。申し出でても当時の幕府の威勢では、それ
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