かけた脚絆《きゃはん》を取って抛《ほう》ります。
「何をするんだ、やい、ふざけたことをするない」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]はその脚絆を取って、また片手で足へ巻きつけようとすると、
「いけませんよ、わたしの見る前でそんなものを足へ巻きつけると罰が当りますよ」
「やい、何、何をするんだ」
「何をするんだもなにもありゃしない、わたしがこの間から見張っているのは何のためだと思ってるの、こんなことがあるだろうと思うから、それで忙がしい小屋の方をさしおいて、こっちへ来ているんじゃないか。それにちょっとの隙があれば、もうこの始末だから呆《あき》れ返っちまうじゃないか。あれ、まだそんなものを足へ巻きつけて、片一方手《かたっぽて》で捻《ひね》くり廻している無器用なザマと言ったら。ほんとに突き倒してやるよ」
「な、なにをするんだ」
「突き倒すよ、片一方手《かたっぽて》じゃ起きられないだろう、独り立ちで起きられもしないくせに、よくわたしを踏みつけにしたね」
「お前は何か勘違いをしているようだ、おれは今日、組合の方の寄合で千住まで出かけなくちゃならねえのだ、それで遊山《ゆさん》かたがた、久しぶりで草鞋《わらじ》を穿《は》いてみようと言うんだ、なにもお前に疑ぐられるような筋はありゃしねえ」
「冗談をお言いでないよ、火事場へ行くんじゃあるまいし、千住まで行くに草鞋を穿いて行くやつがあるものかね、組合の寄合に足ごしらえをして行くなんて、そんなばかばかしいことがあるものかね、千住がよっぽど遠くってお気の毒さま」
「どうも手が着けられねえ、お前がなんと言おうとも友達が待っているんだ、約束がしてあるんだからやめるわけにはいかねえ」
「おや、友達がよかったねえ。そりゃそうでしょうとも、いいお友達がおありなさるんだから、一刻も早く行ってお上げなさる方がいいでしょう。向う様もさぞ待っておいでなさるでしょうけれども、わたしというものがあってみれば、そうも参りませんでお気の毒さま、ほんとにお気の毒さま」
と言ってお角は、口惜しがりながらがんりき[#「がんりき」に傍点]を横の方から突き倒す。
「この阿魔《あま》、あんまり図に乗ると承知しねえぞ」
 突き倒されたがんりき[#「がんりき」に傍点]は起き上って眼の色を変えると、
「さあ、わたしに恥を掻《か》かせたあの後家さんの尻を追って行きたいんだろう、どこへでもおいで、グルになってわたしを出し抜こうとしたって、わたしの眼の黒いうちは……」
 お角はまた口惜しがって武者振りつきました。



底本:「大菩薩峠3」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年1月24日第1刷発行
   1996(平成8)年3月1日第3刷
底本の親本:「大菩薩峠」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※疑問箇所の確認にあたっては「日本国民文学全集・別巻1 大菩薩峠 第1巻」河出書房、1956(昭和31)年3月15日初版発行と、「中里介山全集 第2巻」筑摩書房、1970(昭和45)年9月19日発行を参照しました。
入力:(株)モモ
校正:原田頌子
2001年10月4日公開
2004年3月6日修正
青空文庫作成ファイル:
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