え隠れにこの女連《おんなづれ》を守護して行くつもりであったけれど、幸いに甚だ都合のよい従者を一人発見しました。その従者というのはすなわち宇治山田の米友であります。お君が甲州へひとり残されたことの真相を、七兵衛を通してお角から聞いてもらったところが、女軽業の美人連から冷かされた時のように、よい旦那が出来たから甲府へ残ったわけではなく、全く火事のために行衛不明《ゆくえふめい》になったのだとわかって米友は、お君のことが心配になってはるばる甲州まで行ってみる気になりました。
跛足《びっこ》でこそあるけれども米友は、杖《つえ》をついて飛んで歩けば、あたりまえの人には負けない速力で歩くことができます。それで乗物で行く足弱の伴《とも》にはけっこう役がつとまる。それは槍を取っても取らなくても、生れついての俊敏で気が早いこと無類で、気が早くて直ぐに喧嘩を買ったり売ったりする。これは人気の悪い郡内あたりを通らすには善し悪しであるけれども、そこはよく七兵衛が意見をしておきました。
「兄さん、道中は無暗《むやみ》に人と物争いをしちゃあいけねえぜ、甲州街道の郡内というところは人気が悪いところだから、女連と見たら雲助どもが因縁をつけるだろうけれど、酒手《さかて》をドシドシくれてやりさえすりゃ、たあいなく納まるんだから、お前の一本調子で相手になっちゃあいけねえよ」
「うむ、いいとも」
「そうかと言って、まるっきり温和《おとな》しくしていると悪い奴にばかにされるから、時々威勢を見せつけてやらなくちゃあいけねえ。ことにこの街道には、がんりき[#「がんりき」に傍点]と言って一本腕で名代《なだい》の胡麻《ごま》の蠅《はえ》がいるから、なんでも一本腕の男が傍へ寄って来たら、ウント嚇《おどか》してやるがいい」
「うむ、一本腕の胡麻の蠅が来たら用心するんだな。何と言ったけな、その胡麻の蠅の名前は」
「がんりき[#「がんりき」に傍点]という渾名《あだな》がついてるんだ、ちょっと色の白い小作りな綺麗な男だ、そいつが駕籠の傍へ寄って来たら用心をしなくちゃいけねえ、夜の宿屋なんぞもほかに怖いものはねえが、その一本腕だけは油断をしちゃあならねえからしっかり頼むよ」
「うむ、いいとも」
「おれは道中師だから、街道筋にどんな悪い奴がいるかということはチャンと心得ているんだが、おそらくそのがんりき[#「がんりき」に傍点]という奴ぐらい悪い奴はねえ、またあのぐらいスバシッコイ奴もねえ、わけて女連と見た日には執念深く附いて廻って仕事をする奴なんだから、そのつもりでしっかり頼むよ」
七兵衛は米友に向って、なおくわしくがんりき[#「がんりき」に傍点]の人相や悪事の手並《てなみ》を語って、それに多くの敵意と注意を吹き込んでおきました。
お絹とお松とには正式の手形、米友はその従者として正当に関所を越えることのできるように手続が出来ました。箱惣《はこそう》の家にいる時分に、ひまにまかせて米友は自分で工夫して、自分が名をつけた杖槍《つえやり》。槍の穂だけを取りはずして込《こみ》のところを摺《す》り上げ、それをいつでも柄《え》の中へ箝《は》め込むことができるようにして、穂を懐中に入れておき、柄は杖にしてついて歩き、いざという場合には、それを仕込んで咄嗟《とっさ》の間に槍にしてしまうという武器が出来たから、米友はそれを持って、頭には笠をかぶり首根ッ子へ風呂敷包を背負って、お絹とお松との駕籠のすぐあとへついて出かけました。米友のその風采《ふうさい》はお絹をもお松をも笑わせました。
それより三日目に両国の女軽業の見世物が開《あ》けて、銀床に附ききりであったお角も、どうしても小屋へ帰らなければならなくなりました。その隙《すき》を見てがんりき[#「がんりき」に傍点]が根岸のお絹の住居《すまい》へ駈けつけて見ると戸が閉っていました。
「失策《しま》った」
急いで取って返して旅の仕度をしているところへ、折悪《おりあ》しくお角が帰って来ました。
「お前さん、何をしているの」
「ナニ、その、ちっとばかり」
「足ごしらえをしてどこかへおいでなさるの」
「ナニ、近所まで」
「近所のどこへおいでなさるの」
「ナニ、そんなに遠いところではない」
「そんなに遠いところでなければ、足ごしらえなどをしなくてもいいじゃないか」
「でも、久しく旅をしないから」
「おや、久しく旅をしないから、どこかへ旅をしてみたくなったというんですか。知ってますよ、その旅先はちゃあんと呑込んでいますからね」
「ナニ、少しばかり足慣らしをやってみるんだ」
「出かけるなら出かけてごらんなさい、わたしという者をさしおいて行けるものだか行けないものだか、さあ、出るなら出てごらんなさい」
お角はそこにあった荷物と、がんりき[#「がんりき」に傍点]が結び
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