村山《ほむらやま》、鳥葛山《つづらやま》なんというのが昔から有名なのでございます。いまでも入ってごらんになれば、昔掘った金の坑《あな》の跡が、蛙の腸《はらわた》を拡げたように山の中へ幾筋も喰い込んでいまして、私共なんぞも雨降り揚句なんぞにそこへ行ってみると、奥の方から押し流された砂金を見つけ出して拾って来ることが度々ありまして、なにしろ金のことでございますから、それを取って貯めておくと一代のうちには畑の二枚や三枚は買えるのでございます。けれどもそれでは済まないと思って、拾った金はみんな当家へ持って来てお預けしておくのでございます。そうしますと当家では、年に幾度とお役人の検分がありまするたびにその金を献上し奉ると、お上《かみ》からいくらかずつのお金が下るという仕組みになっているのでございますよ。まあ話の順でございますからお聞き下さいまし、文武《もんむ》天皇即位の五年、対馬国《つしまのくに》より金を貢す、よって年号を大宝《たいほう》と改むということを国史略を読んだから私共は知っています。なにしろ金は天下の宝でございますから、私共が私しては済みませんので、今いう通り拾ったものまでみんな当家へ預けてお上へ差上げるようにしておりますくらいですから、当家でそれをクスネて置くなんていうことができるものではございません。当家にありまする金銀と申しますのは御先祖から伝わる由緒《ゆいしょ》ある古金銀で、山から出るのとは別なんでございます。その当家の御先祖というのは……当家の御先祖は権現様《ごんげんさま》よりずっと古いのでございます。このあたりから金を盛んに掘り出しましたのは武田信玄公の時代でございます。もっともその前に掘り出したものも少しはございましょうけれど、信玄公の時が一番盛んで甲州金というのはその時から名に出たものでございます。権現様の世になってからもずいぶん掘ったものでございますが、その金を掘る人足はみんなこの望月様におことわりを言わないと土地に入れなかったもので、信玄公時代からの古い書付に、金掘りの頭を申付け候間、何方《いずかた》より金掘り罷《まか》り越し候とも当家へ申しことわり掘り申すべく、この旨《むね》をそむく者あるにおいてはクセ事[#「クセ事」に傍点]なるべきものなりとあるんでございます。そのくらいの旧家でございますから、代々積み貯えた金銀がちっとやそっと有ったところで
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