へ行ってお粥《かゆ》を食っています。貧窮組はこのくらい、無邪気といえば無邪気なものだけれど、合点のゆかないのは朱鞘《しゅざや》を横たえた小倉袴の覆面の大の男。表で無邪気な貧窮組を騒がしておいて、金目の物を引浚《ひっさら》って裏から消えてしまうというのは、武士にあるまじき行いであります。
 この勢いで貧窮組は江戸の市中へ蔓延《まんえん》して、ついには貧窮組へ入らなければ人間でないようになってしまいました。男ばかりではない、女も入らなければならないようになりました。職人は職人同士、芸人は芸人同士で貧窮組を作らなければならない義務が出来て、まんいち貧窮組に加入していないことが知れようものなら、人間の仲間を外されて非人の仲間へ組入れられなければならなくなりました。そうして貧窮組はついに江戸市中を風靡《ふうび》してしまったけれど、その不得要領なことはいつまでたっても不得要領で、お粥を食って歩くこと、せいぜい忠作の家を叩き壊すくらいのところであったが、解《げ》せぬのはその貧窮組が騒いで行ったあとで、必ず貧窮組らしくない仕業《しわざ》が二つ三つは必ず残されていることです。この手段は前の忠作の家を荒した時と同じような手段で、表で貧窮組が騒いでいる時、裏で、前に見る通り、朱鞘を差した堂々たる武士が仕事をするのであります。
 その強奪《ごうだつ》の仕方があまりに大胆で大袈裟《おおげさ》で、しかも遮《さえぎ》る人があっても人命を殺《あや》めるようなことはなく、衣類や小道具などには眼もくれず、纏《まと》まった金だけを引浚《ひっさら》って悠々として出て行く。
 不得要領でどこまでも拡がってゆく貧窮組。それと脈絡があってこの強盗武士に要領を得さするものとすれば、貧窮組も決して不得要領ではないけれど、貧窮組にそんなアクドい根のないことは、その成立の動機が煙みたようなのでわかるし、そのなりゆきがお粥以上に出でないのでわかります。しからばその貧窮組を表にして、それとは全く没交渉《ぼっこうしょう》でありながら、巧《たく》みにそれをダシに使って大金を奪い歩く武士体《さむらいてい》の強盗は果して何者。そうしてその盗った金を何事に使用するのだろう。市中の大商人で、この朱鞘の武士の強奪に会ったものは無数であったけれども、後の祟《たた》りを怖れてそれを表立って申し出でない。申し出でても当時の幕府の威勢では、それ
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