ありますよ。あんなのこそほんとに、面目玉《めんもくだま》を踏み潰されたとか噛み潰されたとかいうんだろう。それに比べりゃ役割、こちとらは災難が軽い方でござんすよ」
「まあ俺の方は俺の方でいいが、金公、手前こそ命拾いをした上に、俺の命を拾ってくれたんだから、廻《めぐ》り合せがよく出来ている」
「役割から言いつけられて、神尾の殿様の様子を見ようと石灯籠の蔭で隙見《すきみ》をしているところを取捉《とっつか》まって、すんでのことに息の根を止められようとするところを不意にあの騒ぎで、神尾の殿様も、こちとらをかまっちゃいられず、急にお立ちとなってしまったから、命拾いをしたつもりで騒ぎの方へ飛んで行ってみた時分には、人間の騒ぎは済んだけれども、火の威勢がばかに強くて、通り抜けられねえから、うろうろしていると役割の死骸……じゃあなかった、役割が打倒《ぶったお》れてウンウン言っておいでなさるから、こいつは大変だと肩に掛けて引っぱって逃げると、拾い運のいい日はいいもので、役割の命を拾った上に、もう一つの拾い物。それはこういうわけなんですよ、わっしが役割を肩に引っ掛けて、煙に追蒐《おっか》けられながらあの椎《しい》の大木のところまで来ますとね、そこにまた人間が一つ倒れているんです。尤《もっと》も今度の人間は役割の前だが、前に拾ったのよりもずっと綺麗《きれい》なんですから、それこそホントウの拾い物で、その時、わっしはどうしようかと考えましたね。椎の大木の下に倒れていたのは綺麗な女の子、女軽業の中でお君といって道成寺を踊る評判者、それがやはり役割と同じこと、死んだようになって倒れているのを見つけたものですから、わっしはそこで考えたんで。いっそのこと、役割を抛《ほう》り出してこの娘に乗り換えた方が得用《とくよう》だと、すんでのことに役割の方を諦《あきら》めてしまおうかと思いましたよ。まあ怒っちゃいけません、一時はそう思いましたけれど、本来わっしどもも善人ですから、そんな薄情なことはできません、と言って一人で一度に二人の人を助けるわけにはいきませんから、役割を大急ぎで稲荷《いなり》のところまで担《かつ》ぎ出しておいて、それから取って返して、その女の子を首尾よく担ぎ出しました。が、この方がよっぽど担《かつ》ぎ栄《ばえ》がしました。まあまあお聞き下さいまし、その女の子はわっしの働きでいいところへ隠しておきますよ。あいつはね、人質《ひとじち》になるんですから、大事な代物《しろもの》ですよ。役割がよくなりなすったら、御相談をするつもりでわっしがいいところへ隠しておきますがね、役割、これが癒《なお》ったら、あいつを妾にしておしまいなさいまし」
十二
宇津木兵馬が単身で、白根の山ふところを指して甲府の宿を出かけたのは、一蓮寺のあの騒ぎの翌日のことでありました。
秋もすでに晩《おそ》く、国をめぐる四周《まわり》の山々は雪を被《かぶ》っています。風物と人の身の上を考えると兵馬にも多少の感慨があります。このたびこそはと思うて、いつも心は勇むけれども、旅から旅を歩く間にはずいぶん果敢《はか》ない思いをするのです。
兵馬はこの頃になってようやく、七兵衛の挙動に不審の点を発見してきました。片腕を落されたがんりき[#「がんりき」に傍点]という男との話しぶり、その調子が自分らと話をするのとはだいぶ違ったところがある。七兵衛の挙動に合点《がてん》のゆかぬ節々《ふしぶし》を感づいてみると、そこにもまた多少の心淋しさが湧いて来ないわけにはゆきません。
そこで、このたびの山入りも七兵衛には置手紙をしただけで出かけてしまって、白根の山めぐりをしてから後は、また次第によっては東海道筋へ廻るのだなと思いつつ歩いて行きました。
一蓮寺の境内を通りかかって見ると、どうでしょう、昨日あれほど賑《にぎお》うた見世物小屋のあたりは、すっかり焼けてしまって、祭礼も臨時休業のような姿で、焼跡のまわりには、消口《けしぐち》を取った仕事師の連中が立ち働いている有様を見て、昨夜の火事はこんな大きなことになったのかなと、舌を捲きながら通り過ぎてしまいました。それから荒川の土手のところを歩いて行くと、土手の上の雑草が踏み躪《にじ》られて、血痕《けっこん》があちらこちらに飛んでいます。
兵馬は、それがまさしく人間の血であるらしいから少しく驚かされました。人間の血であってみると、四辺《あたり》の草木の荒された模様から見て、よほどの人数が入り乱れて争ったものとしか見えません。祭礼で気が立ったあまり、ここで血気の連中が大格闘をやったものだろうと、兵馬は心の中で推察しました。
これは昨夜の折助《おりすけ》の狼藉《ろうぜき》と女軽業の美人連の遭難、その血の痕《あと》というのはムク犬の勇猛なる働きの名
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