ょいと旦那」
呼びかけられて米友は、眼をパチパチしました。
「もし、小柄で華奢なお方」
「ナニ」
米友は、たしかに聞いた声だと思いました。
「何をそこで考えているんですよ」
「少し探し物があるんだ」
「おや、探し物?」
と言った女は、ズカズカと米友の傍に寄って来ました。
「そこに突立っていたって、探し物は出て来やしませんよ、歩いてごらんなさい、小柄で華奢で歩《あん》よのお上手なお方」
「おや、お前は……」
「探し物というのはお金でしょう、鬱金《うこん》の財布に入れたお金のことでしょう、それをお前さんは探しておいでなさるんでしょう」
「それ、それだ」
「そんなら御心配なさいますな、ちゃあんとわたしが預かってありますから」
「あ、そうか、それはよかった」
米友はホッと安心の胸を撫で下ろすのを、女は笑って、
「意気地のない人だねえ、女を見て、あんなに逃げなくってもいいじゃないか」
「うむ」
「お前さんの逃げっぷりがあんまりおかしいから、あとを暫く見送っていましたのよ、そうすると、足許《あしもと》に落ちていたのが財布、手に取って見た時分には、もうお前さんの姿が見えなかったから、少しばかり追いかけてみたけれど、どちらへおいでなすったか分らなかったから預かっておきました」
「有難う、あれは俺らの金じゃないんだ、主人の金なんだから」
「念のために、わたしは中をよく調べておきました、そうしてすぐにお係りへ届けようと思ったけれど、そうすると面倒になるし、仲間の者に見せれば、すぐに使われてしまいますから、見てごらんなさい、こんな細工《さいく》をしましたのよ、わたしの頭の上の仕掛《しかけ》を」
女は御幣のような白い紙の片《きれ》がひらひらしている頭を、米友の前へ突き出して、
「お前さん、この白い紙を取って頂戴、お前さんに取らせようと思って、わたしがワザワザこんなことをしたんだから。わたしがこんなことをしておいたのは、もしやお前さんが、お金を失くして探しに来やしないかと思って、その時の目印なんですよ。暗いところだからお互いに面付《かおつき》がわかるんじゃなし、わたしの方では、お前さんの小柄なのと、歩きつきのお上手なのに覚えがあるんだけれども、お前さんの方ではわたしがわかるまいと思って、その目印にこの紙を頭に附けたんだから、この紙をお前さんに取ってもらえば本望《ほんもう》というものだよ」
「ああ、そうか、俺らはさっきから、何のためにお前がそんな紙きれを頭へ結《ゆわ》いつけているのかわからなかった」
「こちらへおいでなさい。今いう通り、人に知れると面倒になるから誰にも知れないように、わたしがよいところへそっと隠しておいて上げたのだから」
女は米友を土蔵の裏へ引っぱって行って、河岸の水際《みずぎわ》まで米友をつれて来た時に、
「その石を転《ころ》がしてごらんなさい」
「あ、これだ、これだ」
石を転がすとその下にあったのは、まさに自分の持っていた財布。
「早く持っておかえりなさい、それがために御主人を失敗《しくじ》るようなことがあると、お前さんもまだお若い人だからためにならないから。そうして、これを御縁にまた遊びにおいでなさいよ」
「お前さんの家はどこで、名前はなんというんだ、改めてお礼に上らなくちゃならねえ」
「わたしの家? そんなことはどうでもようござんすよ、お礼なんぞはいけません――名前だけは言いましょう、お蝶というんですよ。ここへ来て、今時分、お蝶お蝶といえば、大概お目にかかれますわ」
五
落した金をお蝶という夜鷹《よたか》の女から受取った米友は、不思議な感じに打たれます。
売女《ばいじょ》のうちでもいちばん卑《いや》しい夜鷹、二十文か三十文の金で、女のいちばん大切な操《みさお》を切売りする女、この女は十両の金が欲しくはないのだろうか、取っても隠しても罪にはならない十両の金は大事に預かって、返しても返さなくても知れるはずのない人へ返してやる、そうして掛替《かけが》えのない大事な操は二十文三十文の金に替えて惜気《おしげ》がないということが、とにもかくにも不思議です。
不思議に思いながら長者町へ帰って来て、主人忠作の家へ来るには来たが、厭《いや》な厭な気持に打たれてしまいました。もう一足もこの家へ足を入れる気にはなりませんでした。なんらの理窟もなしにこの家が厭で厭でたまらなくなりました。
「金は持って来たぞ、そうら、たしかにお返し申すぞ!」
米友は大音を揚げて財布ぐるみそっくり[#「そっくり」に傍点]と格子戸《こうしど》の中へ投げ込むや否や、物に逐《お》われるように一目散《いちもくさん》に逃げ出して来ました。跛足《びっこ》の足で逃げ出しました。
またも忠作の家を追ん出てしまった米友は、どこをどうブラブラ歩いて来
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