お君を背に負って河原を走りました。提灯《ちょうちん》や松明《たいまつ》で追いかけて来る大勢の人。
「それ河原へ下りたぞ、向うの岸へ合図をしろ」
 ようやく川の流れへ来て宇津木兵馬、浅瀬を計り兼ねて暫らく思案に暮れていたが、そのうちに乗り捨てられた川船の一隻を、ムク犬が見つけて飛び込むと、兵馬はこれ幸いと同じくその舟へ飛び乗って、お君を下ろすとともに、竹の竿を取って岸を突きました。
 舟は難なく釜無川の闇を下って行きます。
 ほど経て舟を着けたのは高田村というところ、そこで陸《おか》へ上りました。
 高田村で舟を捨てた時分には、もう夜が明けていました。鰍沢《かじかざわ》まではいくらもない道程《みちのり》、兵馬はお君のために道を枉《ま》げて鰍沢まで来て宿を取りました。
 それから兵馬は、甲府へ沙汰してお君をもとの軽業の一座へ送り返そうとしているうちに、困ったことにはお君が病気になってしまいました。
 行手に心の急ぐ兵馬も已《や》むことを得ず、それを介抱せねばならなくなりました。
 幸いにお君の病気は大したことはなく、四日ばかりするうちにすっかりなおってしまい、お君はやっと愁眉《しゅうび》を開いていると、そこへ甲府から便りがありました。その便りはまたも兵馬とお君の二人を当惑させるものでありました。
 お君が入って来た軽業の一座は、あれから散々《ちりぢり》になってしまって、またも旅廻りをしているか、江戸へ帰ったか、それさえ消息《たより》がないということで、お君は落胆《がっかり》しました。兵馬も困りました。
 お君は、仕方がないから、わたしはムクを連れて江戸へ帰ってみようと言い出しましたけれど、それはずいぶん危険なことと言わねばならぬ。けっきょく兵馬はお君を当分の間この宿へよく頼んで預けておいて、自分だけが山入りをすることにきめ、お君は兵馬に気の毒でたまらないけれども、その好意に従って、暫らく鰍沢の町に逗留することになりました。
 今朝、お君を残して山入りをした兵馬。
 ムクを連れて兵馬を送って行って別れた最勝寺前、お君には兵馬の面影《おもかげ》が胸を掻《か》きむしるほどに迫って来て、一人では居ても立ってもいられなくなりました。



底本:「大菩薩峠3」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年1月24日第1刷発行
   1996(平成8)年3月1日第3刷
底本の親本:「大菩薩峠」筑摩書房
   1976(昭和51)年6月初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:(株)モモ
校正:原田頌子
2001年10月3日公開
2004年3月6日修正
青空文庫作成ファイル:
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