ありますよ。あんなのこそほんとに、面目玉《めんもくだま》を踏み潰されたとか噛み潰されたとかいうんだろう。それに比べりゃ役割、こちとらは災難が軽い方でござんすよ」
「まあ俺の方は俺の方でいいが、金公、手前こそ命拾いをした上に、俺の命を拾ってくれたんだから、廻《めぐ》り合せがよく出来ている」
「役割から言いつけられて、神尾の殿様の様子を見ようと石灯籠の蔭で隙見《すきみ》をしているところを取捉《とっつか》まって、すんでのことに息の根を止められようとするところを不意にあの騒ぎで、神尾の殿様も、こちとらをかまっちゃいられず、急にお立ちとなってしまったから、命拾いをしたつもりで騒ぎの方へ飛んで行ってみた時分には、人間の騒ぎは済んだけれども、火の威勢がばかに強くて、通り抜けられねえから、うろうろしていると役割の死骸……じゃあなかった、役割が打倒《ぶったお》れてウンウン言っておいでなさるから、こいつは大変だと肩に掛けて引っぱって逃げると、拾い運のいい日はいいもので、役割の命を拾った上に、もう一つの拾い物。それはこういうわけなんですよ、わっしが役割を肩に引っ掛けて、煙に追蒐《おっか》けられながらあの椎《しい》の大木のところまで来ますとね、そこにまた人間が一つ倒れているんです。尤《もっと》も今度の人間は役割の前だが、前に拾ったのよりもずっと綺麗《きれい》なんですから、それこそホントウの拾い物で、その時、わっしはどうしようかと考えましたね。椎の大木の下に倒れていたのは綺麗な女の子、女軽業の中でお君といって道成寺を踊る評判者、それがやはり役割と同じこと、死んだようになって倒れているのを見つけたものですから、わっしはそこで考えたんで。いっそのこと、役割を抛《ほう》り出してこの娘に乗り換えた方が得用《とくよう》だと、すんでのことに役割の方を諦《あきら》めてしまおうかと思いましたよ。まあ怒っちゃいけません、一時はそう思いましたけれど、本来わっしどもも善人ですから、そんな薄情なことはできません、と言って一人で一度に二人の人を助けるわけにはいきませんから、役割を大急ぎで稲荷《いなり》のところまで担《かつ》ぎ出しておいて、それから取って返して、その女の子を首尾よく担ぎ出しました。が、この方がよっぽど担《かつ》ぎ栄《ばえ》がしました。まあまあお聞き下さいまし、その女の子はわっしの働きでいいところへ隠して
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