たちの傍へ寄って、クフンクフンと鼻を鳴らして狎《な》れて来るのが不思議であります。
「おや、ムクだよ、ムクが来てくれたんだよ、ムクが助けに来てくれたのだよ」
親方のお角がまずこう言って叫び出した時に、女たち一同の恐怖の念が歓喜の声と変りました。
真先にお角の身にかけられた縄に牙《きば》を当ててグイと引くと、お角の縄は無造作《むぞうさ》に外《はず》されました。
「まあ、ムク、よく助けに来てくれたねえ、ほんとにお前はわたしたちの命の親だよ」
お角はムクの首を抱えてしまって、さすが気丈な女が声を揚げて泣きました。一人の身が自由になれば、あとはみんな楽に解放されてしまいます。
こうして美人連は、ムクに助けられて再び一蓮寺の境内へ帰って来た時に火事は鎮まったけれども、余炎はまだ盛んなものでした。火消も来たり役人も来たりして騒動はスッカリ納まってしまいましたが、お君の姿をどこへ行ったか見出すことができません。
十一
「それじゃ何かい、どうしても江戸へ出かけるのかい」
宿で七兵衛とがんりき[#「がんりき」に傍点]の会話。
「兄貴、いろいろとお世話になったが、江戸へ出て一旗《ひとはた》揚げるつもりだ。がんりき[#「がんりき」に傍点]もここらが年貢の納め時だから、小商売《こあきない》の一つも始め、飯盛上《めしもりあが》りの女でも連合《つれあい》にして、これからは温和《おとな》しく暮して行きてえものだと思わねえこともねえが、天道様《てんとうさま》がそうは卸《おろ》してくれめえから、とてものことにまた逆戻りで、畳の上の往生は覚束《おぼつか》ねえだろう。どっちが早いか知れねえが、なにぶんお頼み申すよ」
「なるほど、お前も腕一本取られたのがあきらめ時だ、江戸へ落着いたら、そんなことで畳の上の往生を専一に心がけてくんねえ。もしまた、自分はそのつもりでも、世間が承知しねえ時はまたその時の了簡《りょうけん》だ」
「俺もその了簡で、これから生れ変るつもりだ」
「餞別《せんべつ》というほどでもねえが、裏街道を通って萩原入《はぎわらい》りから大菩薩峠を越す時に、峠の上の妙見堂から丑寅《うしとら》の方に大きな栗の木があるから、その洞《うつろ》の下を五寸ばかり掘ってみてくれ、小商売《こあきない》の資本《もとで》ぐらいはそこから出て来るだろう」
「せっかくだが、そいつはよそう、
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