《あひる》のような恰好《かっこう》をして駈け出しました。女はそれきり追いもしないで、
「ホホホ、小柄《こがら》で華奢《きゃしゃ》で、そうして歩《あん》よのお上手な旦那、またいらっしゃいよ」
 友造の逃げっぷりを立って見て笑っていました。息せききって逃げて来た友造、
「ばかにしやがら、女でなければ、打ちのめしてくれるんだが」
 ようやくにして長者町の奉公先へ帰った友造は、御主人の居間へ行って見ましたが、どこへか出て行ったらしく、暫らく待ってみても帰る様子がないから、自分の部屋へ帰って一息ついている間に、疲れが出て、ついうとうとと寝込んでしまいました。翌朝になって、忠作の前へ呼び出された友造が、
「困ったなア」
「馬鹿」
 忠作のために頭ごなしに叱られました。
「だから財布《さいふ》は、首へ掛けなくちゃならんと言っておいたじゃないか、グルグル捲《ま》きにして懐中へ突っ込んでおくから、こんなことになるんだ」
「エエと、柳原の土手だ、たしかにあの時に落したに違えねえ」
「柳原の土手でどうしたんだ」
「あの土手で女の追剥《おいはぎ》が出やがったから、そいつを追払って逃げた時」
「馬鹿、女の追剥というやつがあるか」
 忠作は苦《にが》りきって、
「ありゃ夜鷹《よたか》というものだ」
「なるほど」
「何がなるほどだ、その夜鷹に捲き上げられたんだろう」
「どうも仕方がねえ、もう一ぺん行って探して来る」
「うむ、探して来い、出なけりゃ道庵さんに話して、せっかくだがお前に暇を出すから、そのつもりでしっかり探して来い」
 昨晩、十両余りの金をいつどこへ落したとも知らずに落してしまったが、その晩は疲れて寝込んだから、今朝まで気がつきませんでした。いざ御主人忠作の前へ並べようとしてみるとその金が無いので、米友も色を変えてしまった、というわけで、思い当るのは昨晩の柳原へ出た奇怪な女の振舞《ふるまい》であります。その辺に少し出入りをしたものは、誰でも知っているはずの夜鷹です。それを米友はまだ夜鷹と知らないでいるのに、忠作はまた、友造が夜鷹にひっかかって捲き上げられたとばかり邪推して、金が出なければ米友を追い出すことに了簡《りょうけん》をきめているらしい。
「弱ったな」
 跛足を引き引き柳原の方を差して行く。柳原へ行ってみたところで、あの女が取ったものならば、出て来るはずはないし、落したものならも
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