泊っている宿賃もなくなってしまうのに、お前は奉公に行くんだろう、とても二人一緒に過ごして行けることはできないじゃないか。それにお前、今になって急に行けないなんて、あれほど恩になった親方さんの前へ、そんなことが言えるものかね」
「それはそうだろう。それじゃあどうも仕方がねえから、行っておいで」
「情けない言い方をするねえ、もっと威勢よく力を附けて言ってくれなくちゃ」
お君はどこまでも、米友の言うことを気にしないで、いつもの通り軽くあしらって、着物を畳んでいるが、米友はやっぱり浮かない面《かお》をしていると、破《や》れ障子《しょうじ》の裏で、ワン!
「ああ、忘れていた、ムクにまだ夕飯をやらなかった」
米友は、あわて気味に頭を上げると、
「ああ、そうそう、かわいそうに、ムクにまだ夕飯をやらなかったのね」
お君も面《かお》を上げる。米友は立って障子をあけると、縁側に首をのせて、ムクが尾を振って鼻を鳴らしています。
「ムクや」
米友は直ぐに台所から食物を持って来て、ムクに食べさせました。
「ムクや」
尾を軽く振って夕飯を食っているムク。それを見ながら米友が、
「ムク、俺《おい》らは明日から奉公に行くんだぞ、君ちゃんは近いうち旅へ出るんだぞ、俺らはお前をつれて行くことはできねえが……そうだ、お前は君ちゃんに附いて行け、俺らの代りに君ちゃんに附いて行け」
こう言って米友の面が急に明るくなって、
「君ちゃん、君ちゃん」
「なに」
「旅へ出るにもムクはつれて行くんだろうな、ムクをつれて行っても親方は叱言《こごと》を言やしないんだろうね」
お君は頷《うなず》いて、
「ああ、それはいいんだよ、ムクにはこれから芸を仕込むなんて、親方も大へん可愛がってるから」
「それで安心した、行っておいで、行っておいで」
米友はホッと息をつきました。
三
米友が庭を掃いていると、木戸口をガラリとあけて入って来たのは十四五の少年であります。子供のくせに気取った容姿《なり》をして、小風呂敷を抱えた様子が、いかにもこまっちゃくれているが、よく見るとそれは甲州の山の中で金《きん》を探していた忠作でした。
「友造、誰も来なかったか」
「へえ、誰も参りませんよ」
「ああ、そうか」
顋《あご》をしゃくって忠作は家の中へ入ってしまうと、米友はそのあとを見送って、
「ばかにしてやが
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