槍、綱渡りの槍、飛越えの槍、矢切《やぎり》の槍、鉄砲避《てっぽうよ》けの槍……」
「嘘《うそ》を言うな! 明日はやらねえ」
怺《こら》え兼ねた印度人の米友、我を忘れて口上言いを力に任せて後ろへ引くと、口上言いは尻餅《しりもち》を搗《つ》く。
「おや!」
見物は驚く。
「嘘だ!」
米友が喚《わめ》く。
「おや、あの印度人が日本の言葉を使ったぜ、そうして口上をひっくり返した」
見物はまた沸く。
「あはははは」
道庵先生が、また大笑いをする。
その晩に、お君と米友はこの見世物小屋を追ん出されてしまいました。
「友さん」
お君は泣き出しそうな面《かお》をして、三味線だけを小脇《こわき》にかかえ、
「お前は、あんまり気が短いからいけないのだよ」
「だって仕方がねえ」
米友は、この時はもう黒ではない。黒いところはすっかり洗い落されて、昔に変るのは茶筅《ちゃせん》を押立《おった》てた頭が散切《ざんぎり》になっただけのこと。身体《からだ》には盲目縞《めくらじま》の筒袖を着ていました。
「口上さんが申しわけをしている時に、あんなことを言い出さなければよかったに、あれですっかり失敗《しくじ》ってしまったんだよ。それでも聞き咎《とが》めた人は幾人もなかったからよいけれど、本当にばれた時には、それこそ小屋を壊されて、どんな目に会うか知れなかったよ」
「あの時は、ついあんなわけで、口上の言草《いいぐさ》が癪《しゃく》に触るから」
「あたりまえなら、袋叩《ふくろだた》きにされた上に小屋を抛《ほう》り出されるのだけれども、お前が槍が出来るし、それに偽《にせ》の印度人だという評判が立っては悪いから、こうして黙って追い出されたんだというから、まあ仕合せだと思っていますよ」
「うん、俺《おい》らも、もうあんなところにはいてくれといったって一日もいられやしねえ、ちょうどいい幸いだ」
「だけれどあの親方は、そんなに悪い人じゃないよ。なにしろ女の身でもって、あれだけのことを踏まえて行こうというんだから、なかなかしっかりしたところがあるねえ」
「そうだ、あの親方は、あれでなかなかいいところがあるよ」
「第一、侠気《おとこぎ》があるね。ほら、二人が三島まで来て、お金が無くなって困っていた時に、あの親方に助けられたんだろう、わたしの三味線がいいから下座《げざ》に使ってやると言って、中へ入れてくれ
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