その翌日、道庵は与八をつれて両国へ出かけました。与八の背には郁太郎《いくたろう》が温和《おとな》しく眠っています。
道庵先生は両国へ行く途中も、例の道庵流を発揮して通りがかりの人を笑わせました。
「あそこが両国だ、大きな川があるだろう、間《あい》を流るる隅田川というのがあれだ。向うは上総《かずさ》の国で、こっちが武蔵の江戸だから、昔し両国橋と言ったものだが、今はあっちもこっちもお江戸のうちだ。どうだい、景気がいいだろう、幟《のぼり》があの通り立ってらあ、橋の向うとこっちに見世物小屋が並んでる、見物人がいつでもあの通り真黒だ、木戸番が声を嗄《か》らしていやがる。与八、うっかりあの前へ行ってポカンと立っていると巾着切《きんちゃくきり》に巾着を切られるから用心しろ、ぐずぐずしていると迷児《まいご》になるから、おれの袖をしっかり捉《つか》めえていろ、自分の足を踏まれぬように、背中の子供を押しつぶされねえように気をつけて」
こうして二人は両国の人混《ひとご》みへ入り込んで行きました。
「先生、こりゃ何だい」
与八はいちいち見世物の絵看板の前で立ち止まる。
「こりゃその駱駝《らくだ》の見世物だ」
「駱駝というのは何だろう、馬みたような変てこなものだな」
「そりゃ南蛮《なんばん》の馬だ」
「背中に瘤《こぶ》がある」
「あれが鞍《くら》の代りになる」
「おおきな瘤だな」
「はははは」
「先生、こりゃ何だ」
「これは籠細工《かございく》というものだ、今はやり[#「はやり」に傍点]の籠細工というものだ」
「綺麗《きれい》だなあ」
「その次は竹細工、糸細工、硝子細工《びいどろざいく》、紙細工」
「綺麗だなあ」
「それから駒廻《こままわ》し」
「やあ、駒から水が出ている」
「今度は機関《からくり》」
「やあ、機関まである」
「女盗賊三島のお仙ときたな、こりゃ三座太夫だ、次がおででこ[#「おででこ」に傍点]芝居」
「芝居で歯磨を売るのはおかしい」
「はははは」
「それでも先生、『おあいきやう手踊り御歯磨調合人、岩井|管五郎《くだごろう》』と書いてある」
「いや、こいつらは、もと歯磨売りとしてその筋へ願ってあるのだ、芝居をすると言って始めたのではない、それだから今でも歯磨の看板を出しているのだ」
「ああ、打掛《うちかけ》を着たお姫様が向うを向いている、ありゃ何だ」
「与八、あんなものを
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