り兼ねて刀を押取《おっと》ると、附添いの者合せて十余人がみな同じようにして竜之助を取捲く。
その時の竜之助の冷笑は、やはりこんなやつらを相手に、我ながら大人げないという冷笑で、彼等を嘲《あざけ》るのではない、自分を嘲るような冷笑でありました。
「申すまでもない山崎譲は偽名、拙者には別に本名がある。しかし山崎は拙者の友人、その名前を騙《かた》っても別に障《さわ》りもあるまいから、ちょっと融通してみた」
「無礼者め! 本名を名乗って、早く謝罪《あやま》って引込め、さもない時は手討ちにする」
「本名はそちらから名乗ってみるがよい、今は知らず、神尾主膳はもと三千石の旗本、もう少し睨《にら》みの利いた男であったはず」
こう言いながら竜之助は、片手で持っていた槍を、両手で持って折敷《おりし》きのような形に身体《からだ》を立て直すと、その槍の穂先が擬いの神尾主膳の咽喉元へピタリ。
「これ、何をする」
擬いの神尾は驚き慌《あわ》てる。周囲の者共はどよみ渡る。
「本物の山崎は棒をよく使ったが、拙者はあり合せの槍。おのおの騒ぐな、騒いで刀が鞘走《さやばし》るようなことがあると、拙者の眼は盲《めし》いたれど、この槍の先には眼がある」
刀の柄《つか》へ手をかけて立ち上った擬《まが》いの神尾主膳は、竜之助の槍の穂先で咽喉《のど》を押えられて動きが取れなくなってしまった。動けばブツリと咽喉へ入る、反身《そりみ》になって外《はず》そうとすれば、穂先はひたひたとつけ入る。赤くなり蒼くなって、とうとう床柱へピタリと押しつけられてしまいました。
「無礼者、無礼者」
床柱へ押しつけられて苦しみもがく擬いの神尾主膳。
あたりに見ていた者共も、この奇怪なる盲目の武士の振舞に怖れをなして手出しをすることができない、手出しをすれば擬いの神尾が殺《や》られる。山崎の名を騙《かた》って来たように、ワザと盲目の真似をして来た者、手剛《てごわ》い敵、手が出せぬ。それで、一同も眼を白黒としていると、蒼くなり赤くなっている擬いの神尾主膳、
「槍を引け! 槍を引いてくれ給え」
苦しい声。
「槍はいつでも進上致す、その代り引替えの品」
「引替えの品、承知」
「承知致したか、望月の若主人を戻すか、戻してこの槍と引替えに帰らっしゃるか」
「いかにも、槍と引替えに」
「よし、しからば誰か、望月の若主人をこれへ。遠慮は要《い》らぬ、縄目を解いてやってくれ」
次の間から連れ出された望月の若主人、
「どうも有難うござりまする、なんともお礼の申し上げようがござりませぬ」
竜之助の前に跪《ひざまず》く。
「早く縄を解いて上げろ」
「へえ、もう縄を解いていただきました」
「では、一刻も早く、おうちへお帰りなされ。誰かこのお方をつれてこの場をお引取りなさるがよい」
「有難うござりまする」
望月一家の人たちは、若主人を擁《よう》して大急ぎでこの場を出て行ってしまいましたが、この時もまだ竜之助は、擬いの神尾主膳の咽喉元へ突きつけた槍をはなそうともしないで、
「さて、引替えの品は確かに頂戴した、槍はこのまま進上致す、受取らっしゃれ」
「呀《あっ》!」
擬いの神尾主膳は絶叫して、両手を高く挙げて虚空《こくう》を掴《つか》む。
「呀!」
一座の者が敵となく味方となく仰天《ぎょうてん》したのは、槍を手元へ引かないで、机竜之助が、擬いの神尾主膳の咽喉元を一突きに突き刺して、その穂先は床柱へ深く、人間もろともに縫い附けてしまったからです。縫いつけられて一旦、虚空を掴んで苦しがった擬いの神尾主膳、創口《きずぐち》から矢のように迸《ほとばし》る血まみれの槍の柄を両手に掴んで、苦しまぎれに抜こうとしたが抜くことができません。
底本:「大菩薩峠2」ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年12月4日第1刷発行
1996(平成8)年2月15日第4刷
底本の親本:「大菩薩峠」筑摩書房
1976(昭和51)年6月初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:(株)モモ
校正:原田頌子
2001年6月2日公開
2004年3月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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