、ついこの間お邸に見えた藤崎周水という易者《えきしゃ》がよ、あれが実は水戸の人で山崎譲という人だ」
「そうか、あの易者か。あれがまたなんだってこんな山へ来て、こちとらに会いてえというんだろう」
「あれは易者を看板にしているが本当は易者じゃねえんだ、もとは水戸の士《さむらい》よ。御三家の侍だから、こちとらとは格が違わあ。それで本名が山崎譲、うちの旦那の神尾様とは前からのお知己《ちかづき》だ」
「それで、こっちが神尾主膳でここへ乗込んで来たことを聞いて、拵《こしら》えものとは知らねえものだから、いい幸いで会いに来たのだろう、悪いところへ碌《ろく》でもねえ奴が来やがった」
「けれどもなんとか始末をしなくちゃあならねえ、せっかくここまで漕ぎつけたところで、ここで化《ばけ》の皮《かわ》が剥げたんじゃあ、宝の山へ入って馬の皮を持たせられるようなものだ。なんと同役、とてものことにその山崎という奴を、うまく賺《すか》して押片付けてしまおうじゃねえか」
「そいつは駄目だ」
 同役の木村は、せっかく太く結い上げて来た髷《まげ》を惜気《おしげ》もなく左右に振り立てる。
「駄目だとは?」
「とてもとても。その山崎という奴は、こちとらが三人や四人、束になってかかったからとて歯も立つものではない」
「そんなに腕の利《き》いた奴か」
「腕が利いたにもなんにも、香取流《かとりりゅう》の棒を使わせたら、天狗のような腕利《うできき》だ」
「棒を使うのかい」
「先日も、神尾様のところへ二三日|逗留《とうりゅう》している間、殿様が冗談半分《じょうだんはんぶん》に、山崎、この盤へひとつ印をつけてみろとおっしゃると、よし来たと言って笑いながら、仲間《ちゅうげん》の持っていた六尺棒を借りて、一振り振って碁盤へ当てると、どうだろう、その碁盤の上が棒形に筋を引いて凹《くぼ》んでしまった。恐ろしい腕前だ、あの棒が一当り当ったら、こちとらのなまくらはボロリと折れて、腕節《うでっぷし》でも首の骨でも一堪《ひとたま》りもあるもんじゃねえ」
「いやな奴だな」
「全くいやな奴だ」
「そんないやな奴がこの時勢に易者の真似なんぞをして、この山の中までブラブラやって来る気が知れねえ」
「山の中へ来るのは、やっぱり仕事があって来るんだ、あいつは新徴組《しんちょうぐみ》だよ」
「新徴組か」
「今は上方《かみがた》で新撰組となって、近藤勇が大将だ」
「新徴組じゃあ、こちとらの歯には合わねえ」
「弱ったな」
「勤番の役人様が、今度はあべこべに、油を絞られて突放《つっぱな》されるという図になってはやりきれねえ」
「いやな奴が来やがった」
「全くいやな奴だ」
 二人は膝を組み合せて、折助言葉に砕いて話し合っているところへ、
「御免下さいまし、あの、山崎様が、御用済み次第お目にかかりたいとお使でございました、もしお役人様のお席にお差支えがござりますれば、望月様のお邸がお広うございますから、失礼ながらあちらへお運び下さるよう申し上げてみろとの仰せでござりまする」
「やかましい、用が済んだらこっちから出向いて行くと、そう申せ」
「ハッ」
「弱ったな」
「全く弱った、その山崎という奴がここへ来て、大勢のいる前で面《つら》の皮を剥《む》かれた日には恥の上塗《うわぬ》りだ」
「だから、こっちから行くと言ってやったのだ」
「向うへ行って、向うで面の皮を剥かれたって好い心持はしねえ」
「どっちへ向いても面の皮を剥かれるのは楽なものではあるまい、なんとかいい工夫はねえかなあ」
「敵を見掛けて夜逃げをするわけにもゆくめえから、どうだ一番、乗るか外《そ》るか二人でおしかけて、その山崎にぶつかってみよう」
「そうさな」
「もとよりこっちだって、殿様御承知の上で仕組んだ狂言だ、バレかかったら神尾主膳実はその代理ということで、うまくお茶を濁してしまおうじゃねえか」
「まあ、そういうことでやってみよう、まかり間違ったら拝み倒しよ。なに、山崎だってずいぶん殿様のお世話にはなっているんだから、まるっきり話のわからねえこともあるまいよ」
「今夜は、ゆっくり休んではかりごとを考えて、明朝早く望月のところへ出かけるとしよう」
 それで二人は寝ようと思っていると、
「申し上げます、山崎様がただいまこれへお越しになりました」
「ナニ、山崎が来た?」
「ハイ、お役人様にお見せ申すものがあると申しまして、おひとりでこれへおいでになりました」
「明朝こちらが参ると申したではないか」
「でも、山崎様が急の御用とおっしゃいまして」
「山崎の急用は私のことだ、こちらの用は公儀の御用だぞ」
「恐れ入りまする」
「早く追い返せ」
「あれ、もう廊下をあの通り、ひとりで歩いておいでになりまする」
「ナニ、ひとりで歩いて来る? それは困った、ここへ来られては困る、ここへ
前へ 次へ
全25ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング