目柄でございます。幸いにお支配はおいでなさいませんし、お組頭《くみがしら》のあなた様の御威光で、あいつらも慄《ふる》え上ってしまうことでございましょう、よいところにお気がつかれまして結構で」
「こういうことの相談は貴様に限る」
 主従は、こんな秘々話《ひそひそばなし》をして酒を酌《く》み交わしました。

         八

 奈良田の望月家では、花婿が花嫁の里帰りから帰るのを待ち兼ねているところへ、花嫁は帰らないで、不意に甲府勤番の侍が二人、数人の従者を引連れてやって来ました。
 こは何事と驚く表から厳《いか》めしく踏み込んで、
「お調べの筋がある」
といって、隅から隅まで家の中を探し歩いたことで、家の者も近所の者もことごとく胆《きも》をつぶしてしまいました。
 そうしてめぼしい物にはことごとく封印をつけた上に、若主人を甲府まで同道するから、急いで仕度《したく》をしろということで一同が青くなりました。こうして、委細のことは役所へ罷《まか》り出でて申せとばかりで、遮二無二《しゃにむに》この新婿様《にいむこさま》を駕籠に乗せて引張って行ってしまいました。
 あとの連中はなすところを知らないでいたが、同じ旧家の佐野だとか松本だとかいう老人が飛んで来て、望月の老主人を慰めながら相談の額《ひたい》を鳩《あつ》めていると、
「甲府のお役人様は元湯へお泊りなされた」
 村の人の報告であります。元湯とは机竜之助が泊っているところ。
「それでは、もう一度、みんなしてお願いを致してみましょう、そうしてお話合いで済むようでしたら、若旦那をお願い下げにするように、骨を折ってみようではございませぬか」
 お役人の一行が元湯へ泊ったと聞いて、佐野の老人と松本の老人とを先に立てて、お願い下げの運動をやってみようということになり、お役人にお目にかかって怖る怖る伺ってみると、さきの権幕《けんまく》とは少しく打って変り、なんとなく手答えがあるようでしたから、
「さて、存外、話がわかりそうでございます……」
と言って、その次の難問題に就いて老人たちと望月の主人と親戚とが評議をしました。
「百両」
 まずその辺の相場かなと思う者もありました。みすみす名の知れない金を百両出すのも業腹《ごうはら》だという面《かお》をするものもありました。百両で若主人の身体《からだ》が釣替《つりか》えになれば安いものだといって、望月の家では金には糸目をつけないという色を見せました。
 再び出かけて行った古老たち。
「ほんのお土産《みやげ》の印《しるし》」
 怖る怖る差出した土地の織物、それに添えた百両の金。それをお役人にと従者の手を経て献納して帰ってみると、程を経てその織物も金百両も突き戻されて来ました。
 それから元湯の一室で、ひいひいと人の泣く声がする。荒々しく責める声が聞える。泣く方は人に聞かせまじと男泣き。責める方はわざと聞えよがしの荒い声。
 土地でも宿でもそれ以来、火の消えたような静まり方で、ただそのひいひいと泣く男泣きの声と、荒っぽく責める申し上げてしまえの声とを聞いて心臓をわななかせるばかり。
 それとはだいぶ間を隔てていたけれど、同じ屋根の下に泊り合せた机竜之助。まして眼のつぶれて感の鋭くなった耳にその声が入らないはずはありません。
 お徳から、あらましの事情を聞いた竜之助が、
「ああ、それは偽物《にせもの》だ」
と言いました。
「あの、お役人は偽物でございますか」
 お徳は呆《あき》れる。
「よくある手で、近頃はどこへ行っても流行《はや》る、徳川の御用金だとか、勤王《きんのう》の旗揚げの軍備金だとか言って、ところの物持ちをゆす[#「ゆす」に傍点]るのだ、それがこの山奥までやって来ようとは思わなかった」
「では盗賊《どろぼう》でござんすか」
「盗賊というわけでもない、なかには相当な志を持っているものが、心ならずもそんなことをして歩くのがある、結局は金で納まるのだ、白羽《しらは》の矢を立てられたその望月とやらが気の毒」
「お金で済めば結構でござんすけれど、山方《やまかた》の人はそんなことに気がつかないで、お金などを出してはかえってお役人に失礼なんぞと遠慮をなさるかも知れませぬ」
「どのみち扱いが少し面倒だ。人はみんなで幾人ぐらい来ているな」
「お侍が二人に、お伴《とも》の衆が五六人、みんなで十人ばかり」
「それは少し大仕掛だ、ことによると望月の財産を振ってしまうようなことになるかも知れぬ」
「御災難でござんすねえ」
「災難だ、災難だ。それから、あの里帰りに行ったという嫁は帰って来たのか」
「いいえ、まだお帰りござんせぬ」
「それも危ない。どのみち、この婚礼を附け込んで企《たく》んだ仕事だから、向うへも手が廻っている。結局ドチラも身代金《みのしろきん》、下手《へた》に出
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