要《い》らぬ、縄目を解いてやってくれ」
次の間から連れ出された望月の若主人、
「どうも有難うござりまする、なんともお礼の申し上げようがござりませぬ」
竜之助の前に跪《ひざまず》く。
「早く縄を解いて上げろ」
「へえ、もう縄を解いていただきました」
「では、一刻も早く、おうちへお帰りなされ。誰かこのお方をつれてこの場をお引取りなさるがよい」
「有難うござりまする」
望月一家の人たちは、若主人を擁《よう》して大急ぎでこの場を出て行ってしまいましたが、この時もまだ竜之助は、擬いの神尾主膳の咽喉元へ突きつけた槍をはなそうともしないで、
「さて、引替えの品は確かに頂戴した、槍はこのまま進上致す、受取らっしゃれ」
「呀《あっ》!」
擬いの神尾主膳は絶叫して、両手を高く挙げて虚空《こくう》を掴《つか》む。
「呀!」
一座の者が敵となく味方となく仰天《ぎょうてん》したのは、槍を手元へ引かないで、机竜之助が、擬いの神尾主膳の咽喉元を一突きに突き刺して、その穂先は床柱へ深く、人間もろともに縫い附けてしまったからです。縫いつけられて一旦、虚空を掴んで苦しがった擬いの神尾主膳、創口《きずぐち》から矢のように迸《ほとばし》る血まみれの槍の柄を両手に掴んで、苦しまぎれに抜こうとしたが抜くことができません。
底本:「大菩薩峠2」ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年12月4日第1刷発行
1996(平成8)年2月15日第4刷
底本の親本:「大菩薩峠」筑摩書房
1976(昭和51)年6月初版発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:(株)モモ
校正:原田頌子
2001年6月2日公開
2004年3月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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