も関西も鼎《かなえ》のわくような騒ぎ、四海の中《うち》が浮くか沈むかという時勢であるそうな。それにこの山里では、お嫁取りの飲み明かし歌い明かし、そぞろにその泰平《のどか》さにほほ笑まれるのであったが、その来る嫁というのが甲州八幡村と聞いて竜之助は、また思わでものことを思わねばならぬ。それは、わが身にとって悪縁の女、お浜の故郷が、やはりその八幡村であったからであります。
「そのお嫁さんを一目見たいものだな」
「それはお目にかけたいくらいの美しいお嫁様で」
 竜之助は冗談のように言うと、お徳は本気で答える。
「八幡村というところには、わしの親類……でもないが知合いがある」
「ああ、そうでござんすか、それではことによると、あのお嫁さんも御存じのお方かも知れませぬ」
「いいや知るまい、私はその八幡村というところへ行ったことはないのじゃ、ただ懇意な人の口から聞いて知っているばかり」
「左様でござんすか、いずれ明日にも、お嫁様のお里帰りがあるでござんしょうから、その時ごらんになると……そのとき誰かにお聞きなすってみましたら」
「別に聞いてみたいこともないのだが、なんとなくそのお嫁様を一目見たいような気持がする」
 その夜、竜之助は山崎譲と夜《よ》更《ふ》くるまで語り合ったが、山崎は竜之助にいろいろと忠告をしたり、早く故郷へ帰るように、道中の不便があらば、知合いの甲府の勤番《きんばん》に頼んでやると親切に言ったが、竜之助はなんとも別に定まった返事をしなかったけれども、先を急ぐ山崎は若干の見舞金と、甲府の勤番へ宛てての竜之助の身の上依頼状などを認《したた》めておいて、その翌日、ここを立ってしまいました。山崎を送った竜之助は、ひとり宿の二階の欄干に凭《もた》れていると、
「あれ、お嫁様が」
という遽《にわ》かの騒ぎ。
「あれが望月様の若奥様。まあごらんなさい、あの髪の毛、あのお面色《かおいろ》、あの髪飾りの鼈甲《べっこう》の、水の滴《したた》るような襟足《えりあし》の美しさ、あのお紋付、あのお召物、あの模様……ほんにお館様《やかたさま》のお姫様とても、これほどのことはおありなさるまい」
 姦《かしま》しい人の声。ははあ、これが、いわゆる八幡村から来たという嫁御寮、ただでさえ物見高い嫁入騒ぎ、このあたりの大家ということであるから、物珍らしい山家の人には、さながら信玄公の姫君でも御入来《
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