少年が一人、水の中を歩いています。
「山魚《やまめ》でも捕るのかい」
「そうじゃないよ、もっと大きな物を捕るんだ」
「山魚より大きなもの――それでは鰻《うなぎ》か鱒《ます》でもいるのかい」
「そんな物じゃあない、もっと大きな物よ」
「鰻や鱒より大きなもの――はてな、こんなところにそんな大きな魚がいるのかね」
「いるから捕りに来るんじゃないか」
「なるほど、鰻や鱒よりも大きい……まさか鮪《まぐろ》や鯨《くじら》がいるわけでもあるまいな」
「ははあだ、鮪や鯨よりもっと大きな物がいるんですからね、お気の毒さま」
 人を食った言い分で七兵衛もいささか毒気《どっき》を抜かれます。
「鮪や鯨より、もっと大きなもの――それをお前はそのお椀《わん》で掬《すく》って、その袋へ入れようと言うんだね」
「そうだよ、その通り」
 ああ言えばこう言う、少しも怯《ひる》まぬ少年。
 なるほど、少年は手に一箇の吸物椀《すいものわん》を持っていて、それで水の中を掻き廻していたのです。右のお椀で水の中を掻き廻して掬い上げると、鮪も鯨も入ってはいない、ただ川の中の砂がいっぱい。
「どうだ、おじさん、わかったかい、これは鮪や鯨より大きいものだろう」
「何だい」
「このピカピカ光る物をごらん」
「はてな」
「このお椀を左右へこんなに動かすと、それ、だらだらと砂が溢《こぼ》れる。砂が溢れると、あとに残るのがこのピカピカする物。おじさん、これを何だと思う」
「なるほど」
「知らなけりゃ教えてやろう、こりゃ黄金《きん》というものだよ。黄金というものは、この世でいちばん大したものなんだ、鮪や鯨より、もっと大きなものなんだ」
「なあーるほど」
「国主大名のような豪《えら》い人でもこの黄金の前には眼が眩《くら》むんだよ、花のような美しい別嬪《べっぴん》さんでも黄金を見れば降参するんだよ。どんな者でも、この黄金の前へ出れば顔色が変るんだから、なんと大したものじゃねえか」
「なるほど、こいつは恐れ入った」
「この甲州という国は、昔から金が出る国なんだよ」
「そりゃわかった、黄金の話はまた後から聞かしてもらおう。小僧さんや、あの山はありゃ何という山だい」
「あれか、あれは土地では燧台《のろしば》と言っているが、昔はお城があったところ、今はお化《ば》けと狼が住んでいるんだ」
「お化けと狼が?」
「あの裏山へ廻ればお化けと狼が
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