ぬ故、これで御免」
「ハハハ、鶴の巣籠を吹いて虚無僧で候《そうろう》も虫がよい、そのくらいならば我々でも吹く、何か面白いものをやれ、俗曲を一つやれ」
「…………」
「追分《おいわけ》か、越後獅子が聞きたい」
なんと言われても事実、竜之助には本手の三四曲しか吹けないのだから仕方がない。
「なるほど、これは駆出しの虚無僧じゃ、まんざら遠慮をしているとも見えぬわい」
一座は興が冷めてしまいました。せっかく呼び込んだ男は一座の手前に多少の面目を失したらしく、
「よしよし、それでは代って拙者が吹いてお聞きに入れよう。虚無僧、その尺八を貸せ、こう吹くものじゃ」
竜之助の手から尺八を借りて、節《ふし》面白《おもしろ》く越後獅子を吹き出した。なるほど自慢だけに、竜之助よりは器用で巧《うま》いから、一座の連中はやんやと喝采《かっさい》します。
「今度は追分を一つ、それから春雨」
調子に乗って、竜之助の尺八を借りっぱなしで盛んに吹き立てると、それで興の冷めた一座が陽気になってしまいました。
さんざん吹きまくった上で、抛《ほう》り出すようにしてその尺八を竜之助に突返して、
「さあ、これがそのお礼だ、その方へのお礼ではない、尺八の借賃じゃ、取っておけ」
いくらかのお捻《ひね》りを拵《こしら》えて竜之助の前に突き出しながら、わざと竜之助の天蓋へ手をかけて面《かお》を覗き込もうとする、その手を竜之助は払いました。
竜之助のは正式に允可《いんか》を受けた虚無僧ではないのです。虚無僧となって歩くことが便利であったからそうしたので、これはその前から流行《はや》ったことで、その真似をしていたのに過ぎないのだから、気の向いた時は吹き鳴らし、気の向かぬ時は吹かず、今までも町道場や田舎《いなか》の豪家で剣術の好きな人の家に一晩二晩の厄介になったことはあるが、まだ路用に事は欠かないし、尺八の流しによって人の報謝を受けたことはなかったのです。それに今こういう取扱いを受けた竜之助は、
「いや、お礼には及び申さぬよ、尺八をお貸し申した代りに、こっちにもちっとお借り申したいものがある、お聞入れ下さるまいか」
「煙草の火でも欲しいのか」
「あの竹刀《しない》を一本お借り申したい」
「竹刀を? それは異《い》な望み、虚無僧が竹刀を持って何をする」
「お前の頭を打ってみたい」
ああいけない、こんなことを言い
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