かお題目とか、むずかしいものが彫ってあるんだそうだ」
「なるほど」
「そこでまあ意地と二人で、よしと請合《うけあ》って来てみるとあの始末だ。なあに、これは仕掛《しかけ》があって、誰か上人の方へ筒抜けをする機関《からくり》だとこう思ったから、小手調べに二つ三つ手近なやつを引ん抜いてみたら驚くじゃねえか、ちゃあんとあの上人が見抜いてしまやがった。あの人混みの中で、どうしてまあこっちの業《わざ》がわかるんだか、実際あの坊主の眼力《がんりき》には、このがんりき[#「がんりき」に傍点]も降参したよ」
「なるほど」
「けれどもこのままじゃ引込めねえ、あの上人も、こちとらを出し抜いた乗物も、みんなあと先になって東へ下るんだ、仕事はまだこれからよ。兄貴、お前もここで外《はず》すのは惜しかろう、盗人冥利《ぬすっとみょうり》だ、行くところまで行きねえな」
「いいとも」

 この日、遊行上人もまた天竜寺を出でて東へ下りました。
 一行六人、それに米友を加えて七人の旅でありました。
 この一行のために船賃も橋賃も御免でありました。わざわざ出て来て拝む者もありました。宿《しゅく》へ着くと羽織袴の人が迎えに来て、紫の幕が張ってある本陣へ案内するのでありました。
 それがために米友の旅は非常に楽なものでした。一文も自腹《じばら》を切らずに、到るところ大切《だいじ》にされて通ります。
 駿河《するが》の府中まで来ると遊行上人の一行は、世の常の托鉢僧《たくはつそう》のような具合にして、伝馬町の万屋《よろずや》というのへ草鞋《わらじ》を脱いでしまいます。
 今宵《こよい》は紫の幕もなければ領主からの待遇も避けて、ただあたりまえの旅客として泊り合っただけです。
 風呂にも入り、夕飯も済んで、挟箱担《はさみばこかつ》ぎはどこへか用足しに行ってしまい、米友はまだ寝るには早いから坐っていると、長押《なげし》に槍がかけてあります。
「槍、ヘヘン、槍がありやがる」
 米友は槍を見てニコニコ笑い。
「久しぶりだから、ひとつ使ってみてやろうかな」
 部屋の隅にあった碁盤と将棋盤を持って来て、それでやっと取り下ろしたのが九尺柄の素槍《すやり》。

 ちょうどこの日に、机竜之助もまたこの宿に泊っていたのであります。
 竜之助がひとりで酒を飲んでいるところへ、お絹が風呂から上って来ました。
「またいやな奴がついて来ましたよ
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