馬の鈴の音。
「見たかい」
「見た」
「あやつは盲目《めくら》だぜ」
「盲目だ」
「後ろの駕籠を見たかい、後ろのを、あの女を」
「その女が、俺の知っている女だから不思議だ」
 七兵衛はこう言う。
「兄貴、あの切髪の女をお前が知っているのかい」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]が不審がる。
「知っている、たしかに知っている、言葉をかけようと思ったが、かけちゃあ悪かろうと思ってかけなかった」
「そりゃ乙《おつ》だ。してみりゃあ、前の駕籠へ乗った奴の当りもついたろうな」
「そりゃ、やっぱりわからねえが」
「なんしろ近ごろ好い鳥がかかった、おおかた今夜は掛川泊りだろう。兄貴、仕度は出来たかい」
 二人は、もうすっかり旅の用意が出来た上に朝食まで済んでいるのでした。

         四

 それと同じ日の夕方のこと。
 どこから来たか西の方から来て、浜松の町を歩んで行く一人の子供がありました。
「かわいそうに、あの子供は跛足《びっこ》だね」
 それは撞木杖《しゅもくづえ》を左の脇の下にあてがって、頭には竹笠《たけがさ》を被《かぶ》って、身には盲目縞《めくらじま》の筒袖《つつそで》の袷《あわせ》一枚ひっかけたきりで、風呂敷包を一つ首ねっこに結《ゆわ》いつけて、それで長の道中をして来た一人旅の子供と見えるから、それで町のおかみさんたちも、おのずから同情の眼を以て見るようになったものと見えます。
 しかし悪太郎どもは悪太郎どもで、
「やい、跛足《びっこ》が来た、あれ見ろ、跛足のチビが来やがった」
 古草鞋《ふるわらじ》を投げたり、石を抛《ほう》ったりして、
「こっちを向いて睨みやがった、おい、あの面《つら》を見ろ、ありゃ子供じゃねえんだぜ」
 なるほど、悪戯《いたずら》をしかけた悪太郎どもの方を睨みつけた旅の子供の面《かお》を見れば、決して子供ではありませんでした。
「かわいそうに、あの子供は跛足だね」とせっかく同情を寄せた町のおかみさんたちまでが、笠の下からその面を見た時には呆《あき》れてしまって、
「おやおや、あれは子供じゃなかったんですね」
と言いました。
 笠を被[#「被」は底本では「破」]ったなりで見れば子供に違いないけれど、笠の下からその面を見れば、子供ではないのです。
「なんだか河童《かっぱ》みたような、気味の悪い」
 これは子供でもなし、また河童でもなし、宇治
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