杉お玉はその幾代目に当りますことやら、わたくしどもでさえよく存じませぬが、お玉だけは、今までのお玉とお玉が違うのだそうでございますよ」
万の[#「万の」に傍点]に似た仲居は、気が進まないながら、客の問いによって、お玉の来歴を少しばかりでも説いて聞かさねばならぬ義務があるのであります。
「声がよいのと、三味線が上手なのと、面《かお》が少しばかり見よいと申すのが評判でお玉は大当りでございますが、ナニあなた、殿様方の前でございますが、あれは女乞食の出来のよいので、こちらの音頭《おんど》の衆などの前へ出ましたら、月の前の星でございます、それでも名物となると、なんでもないことまでお客様のお気に召しますと見えまして……」
「いや左様ではあるまい、間の山節を昔ながらの調子で聞かすものは、古市《ふるいち》古けれども、今のあのお玉とやらのほかにはないということじゃ。それにお前がいう通り、声がよくて三味が上手で、面が好ければ申し分はないではないか。早くその名物が見たい、いや聞きたい」
「その、なんでございます、おっしゃる通り間の山節というのを昔の型で聞かすというのが、あの子の売り物でございます、それは、母親から正伝《しょうでん》を伝えられたと申すことでございますが、なに、それは傍《はた》で聞いていてほんとに陰気な歌なのでございます、三味の手にしましても数の知れたものでございます、誰も真似手《まねて》がないというので、わざと捻《ひね》ったお客様が買被《かいかぶ》りをなさるのでございます。あんな歌を真似てみようという茶気が、こちら衆の女子《おなご》の中にはないと申すのが、ほんとうなのでございます、手前共の音頭などは、お聞きに入れました通り、陽気なもの陽気なものと骨を折りまして、
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かざり車や、御車《みぐるま》や、御室《おむろ》あたりの夕暮に、花の顔《かんばせ》みるたのしみも……
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歌でさえ、この通り花やかなものでございましょう。それにあなた、あの子の唄う間の山節の文句と言ったら、
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夕べあしたの鐘の声、寂滅為楽《じゃくめついらく》とひびけども……
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こうなんでございます、まるでお経ではございませんか、合の手にはチーンとか、カーンとかお鉦《かね》を入れたくなるではございませんか」
「うむ、それそれ、その夕べあしたの鐘の声というのよ、それがほんものの間の山節ということじゃ。今は廃《すた》れたという話だから、せっかく来ても聞けるか聞けないかと、心配をしながら来てみたのじゃ。なるほど伊勢音頭も花やかでよい、花やかで面白いけれども、それ数奇者《すきもの》には得て癖がありがち、家に容貌《きりょう》なら品行《ひんこう》なら申し分のない女房を持ちながら、かえってその女房より容貌も位も十段も劣った女に溺《おぼ》れて、迷い込む者もあるものよ」
「左様におっしゃれば、そのようなものでござりましょう、殿様方もさだめて左様なお物好きでいらせられればこそ、お江戸の美しい花にもお見飽きあそばして、古市くんだりまでこうしてお調戯《からかい》にお下りあそばしまする、鯛《たい》も売れれば目刺《めざし》も売れる、それで世の中は持ったものでございますね、よくしたものでございますよ。なんに致しませ、間の山節とやらも一度お聞きあそばしますも旅のお話の種でござりましょう。もう参りそうなもの」
この仲居、なかなか口が達者です。この時、程近いどこかの大楼でまた賑かな伊勢音頭の拍子《ひょうし》、
「ヨイヨイヨイヤサ」
五
「今晩は、間の山の玉でございます、有難うございます」
ムク犬を連れたお玉は、ちょうどこのとき備前屋の前に立って、片手で源氏車の暖簾《のれん》を分けて、楼の中へ首をさし入れたのでありました。
「あ、お玉さんかえ、お客様がお待ち兼ねですよ」
奥へ沙汰をすると、例の万の[#「万の」に傍点]に似た仲居が出て来て、
「さあ、お玉さん、裏口へお廻りよ、いつもの通りあの石燈籠の蔭からね。中から木戸をあけて上げますよ」
「ハイ、有難うございます」
万の[#「万の」に傍点]は差図《さしず》をするような言いぶりでありました。お玉は差図をされた通りに通り抜けて石燈籠の蔭から中庭の方へ参りますと、中からまた一人の仲居が木戸をあけてくれる。導かれて、入って行って見ると、前の五人づれの若侍の大一座。
「間の山のお玉が参りました」
仲居の万の[#「万の」に傍点]が跪《かしこ》まると、一座の眼は庭先から導かれて来るお玉の方へと一度に向いてしまいます。
「今晩は、間の山の玉でございます、有難うございます」
縁側の前で、お玉は正客の若侍の方と、取巻きの連中の方へと御挨拶を申し上げます。
「
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