で烈しく吠えます。
「まあ、騒々しいことといったら」
お玉は、どうにもムク犬が制し切れないので困っていると、行商体の男は、ジロリとお玉の面《かお》から家の中を一廻り見廻して、
「お玉さん、お前さんこのお家に一人かね」
なんだか薄気味《うすきみ》の悪い問いぶり。
「ええ、ここは一人、向うが叔父の家」
「そうしてなにかえ、ゆうべ備前屋から帰りに連れがあったのかえ、それとも一人で仕事をして帰ったのかえ」
「連れがあったかとおっしゃるのは……」
「とぼけるな、お玉御用だ!」
懐ろから飛び出した銀磨《ぎんみが》きの十手《じって》。
「あれ――」
お玉の細い腕を逆に取る時、雷電の一時に落つるが如く飛び来《きた》った猛犬ムクは、物も言わせず大の男を縁より噛み伏せてしまいました。
「まあ、どうしたと言うんでしょう、わたしにはわからない、わたしにはわからない、わかりやしない」
お玉はあまりのことに、飛び上って、突っ立ったきりです。
行商体の男の有様こそ無惨《むざん》なもので、面の全部を腮《あご》から噛まれて、銀磨きの十手を抛《ほう》り出してそこへ突んのめってしまったのを、ムクはそのまま噛捨てにして、クルリと身を転ずるや、またしても土間を突き抜けて驀然《まっしぐら》に裏口へ飛んで行きました。
「御用」
表でこの騒ぎを知るや知らずや、今度は正銘《しょうめい》の捕方《とりかた》が五人、比較的に穏かな御用の掛声で、ドヤドヤと裏口からこの家へ押込んで来た。その出会頭《であいがしら》に、眼を瞋《いか》らし、歯を咬《か》み鳴らし、両足を揃えて猛然と備えたムク犬。
「わたしは何も……わたしは何も、お役人様に召捕られるような悪いことをした覚えはありません、それだのに、何もわけをお話し下さらずにわたしを捉《つか》まえようとなさるのは、あんまり、あんまり酷《ひど》い」
お玉はオロオロ声で愚痴《ぐち》を言いましたけれども、いま裏口から入って来る人数を見ると、わけもわからずに怖くなって、
「わたし、逃げるわ、何も悪いことをしないのに捉まっては合わないから逃げるわ、あとでわかることでしょうから逃げるわ」
お玉は無分別に、跣足《はだし》で縁を飛び下りて、無暗《むやみ》に逃げ出してしまいました。
「それ、お玉が逃げる、逃がすな」
お玉が逃げ出したと見た捕方が追いかけようとする、真先《まっさき》の
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